青島幸男がいなければ、日本の笑いは変わっていた!?

 
青島幸男「ちょっとまった!青島だァ」
12月20日午前9時30分。前東京都知事であり、直木賞作家、そしてテレビ創世記に放送作家、出演者の両面で縦横無尽に活躍した青島幸男氏が、骨髄異形成症候群のため死去されました。74歳でした。

最近はあまりマスコミ等に登場することはありませんでしたが、この12月に自伝的エッセイ「ちょっとまった!青島だァ」が出版されたこともあり、まだまだお元気なものとばかり思っていました。それだけに、あまりにも早い訃報に唖然としてしまったのは、当ガイドだけではないでしょう。

マルチな才能を発揮し、政治家としても文化人としても確固たる実績を築いてこられた青島氏。ただここでは、日本のテレビバラエティを一から築いた創設者としての偉大な足跡にスポットを当てて、振り返ってみたいと思います。

クレイジー・キャッツとの運命的な出会い

昭和7年に東京日本橋で生まれ、早稲田の大学院にまで進んだ青島幸男が、芸能界に足を踏み入れたのは、自らの大病がきっかけでした。療養中に書いた漫才台本が、NHKのコンクールに入賞したことで、放送作家となりました。

昭和32年に開局したばかりのフジテレビで、当時、ディレクターだったすぎやまこういち氏の誘いを受けた青島は、クレイジーキャッツが出演する「おとなの漫画」のコントを執筆し、放送作家として徐々に注目を集めるようになりました。

もしも彼が放送作家になることがなかったら、日本の笑いは依然としてもっと泥臭いままだったかもしれません。少なくても、ナンセンスでクールでアナーキーな笑いが市民権を得るには、もっと時間が掛かったことでしょう。

もちろんそこには、それまでのお笑い芸人とは一線を画した、ジャズ畑のクレイジーキャッツというエンターテイナーの存在を忘れるわけにはいきません。青島、クレイジーの出会いが、お互いを刺激しあうことで、この時期に笑いのレベルが格段に向上していったのでした。

2組の出会いが生んだ「芸能遺産」とは…