宝塚ファン/宝塚歌劇団 トップスターの変遷

花組トップスター・匠ひびき―退団(2ページ目)

2002年6月23日――花組トップスター・匠ひびきさんが宝塚歌劇団を退団されました。苦痛を乗り越えてのラストステージに、多くのファンが涙しました。

桜木 星子

執筆者:桜木 星子

宝塚ファンガイド

匠ひびきさん……チャーリーの退団を語る上で、今はどうしても外せない出来事がありました。
まず――宝塚ファンの方なら皆さんご存知ですが、トップスターとして出演する作品がわずか一作だったこと。これについては、以前『匠ひびきさん退団を発表!』という記事で取り上げました。

この記事中で私は「数年間トップスターでいることの素晴らしさは勿論だけど、たった1作でもそれにすべてを賭けるトップスターもかっこいいな…」と話しましたが、それさえも困難な、もうひとつの出来事が起きてしまいました。

宝塚大劇場でのサヨナラ公演千秋楽(4月8日)三日前より、痛みとしびれのため思う存分動けない状態に。千秋楽まで無理して舞台を務めたものの、病名は脊髄炎。その後のチャーリーのための最後のリサイタル『ダイヤモンド・アイズ』は、チャーリー抜きでの公演となってしまいました。

検査、入院、リハビリに励んだものの、最後の最後となる5月11日からの東京宝塚公演『琥珀色の雨にぬれて』『Cocktail』は、春野寿美礼さんはじめ花組生徒が彼女の代役を務め、自分たちのトップスターがいつもここにいるのを感じ、留守を守りました。

千秋楽の一週間前、6月17日に復帰。芝居『琥珀色の雨にぬれて』は引き続き代役で行い、ショー『Cocktail』に部分的に出演し、6月23日の千秋楽を迎えたのです。

ショーに部分的に出演できたものの、舞台に立つという激務に耐えられるまで完治してはいなく、ダンサーの名手であるチャーリーが体中で踊ることはできませんでした。足や腰を使うのではなく、上半身で、手で、瞳で、心で……。

15年の宝塚生活のすべてを、匠ひびきという男役のすべてを、この一作でお見せしたいと言っていたチャーリー。その悔しさは、周りの想像を遥かに超えたものだったに違いありません。

それでも彼女は「舞台に出たい!」と思いました。きっと“倒れるかもしれない…”という不安と常に戦いながらの一週間だったことでしょう。でも彼女は一人ではなく、今まで待っていた花組の生徒やスタッフに助けられ“ただそこに居てくれるだけでいい”と思ってくれるファンのために千秋楽まで頑張りぬきました。
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