名君?愚帝?生類哀れみの令


徳川綱吉といえば通称・犬公方で「生類哀れみの令」があまりに有名です。桂昌院の寵愛していた僧・隆光(火野正平)の「世継ぎが生まれないのは綱吉の干支である犬を大事にしないから」の言を採用して1687年に犬を中心に動物を大事にするようにとのとの諸法令を定め、これがいよいよ12月1日放送の第7話で登場。この悪法により綱吉は日本の封建君主ワースト1の評価が定着しています。

しかし綱吉が本当に愚帝だったかどうか、評価は分かれています。

将軍就任当初(1680年)は堀田正俊を大老とし、吉宗が定めた武家諸法度の元になった天和令を発布したり実際に不良代官の処罰を行うなど綱紀粛正につとめました。また武道より学問を重視する文治政治で新井白石、荻生徂徠らの儒学者を生み出しています。

しかし堀田正俊の死亡(1684年)以降は大老をおかず、側用人の牧野成貞(平泉成)と柳沢吉保らを重用して独裁政治化。「生類哀れみの令」につながっていきます。

しかし「生類哀れみの令」が悪法であったかどうかも歴史学上は議論の余地があるようです。一般には犬など動物のことについてしかふれられていませんが、人間についても親に財力がなければ役人が子どもの世話をする、捨て子を予防するため妊婦や子どもの名前を登録、流民の保護義務など現代的な福祉政策の要素が入っています。動物を傷つけて厳しく罰せられたのも武家だけで民衆は対象ではありませんでした。

イメージが悪いのは抵抗勢力?の官僚がねじ曲げてしまったとか、元禄文化でたくさんいた戯作者がおもしろおかしく書いただけで、信頼性のある資料は少ないとか。

このあたりは今後の歴史研究の進展を待ちたいところです。昨年の草なぎ剛主演のフジテレビドラマ『徳川綱吉 イヌと呼ばれた男』はその観点から綱吉を「いい人。」として描きました。しかしフィクションの観点からいうとやはり綱吉は愚帝の方がドラマをつくりやすいようです。

また綱吉の綱紀粛正策の一環として大名を厳しく処罰しお取りつぶしが多発。赤穂藩・浅野内匠頭が江戸城な内・吉良上野介に切りつけた刃傷事件でも当然、赤穂藩は取りつぶし。それにより元禄時代最大の事件である赤穂浪士討ち入りがおきますが、『大奥~華の乱』では描かれるのでしょうか?