おかげさまで好評だった『大奥』の世界を実際の歴史から見る『歴史は大奥でつくられる』、『大奥~華の乱』編です。江戸時代の全盛期ともいうべき元禄文化が花開いたこの時代の歴史もいろいろなことがありました。


綱吉の正式な子を生んだのはお伝の方だけ


綱吉の正室は信子(藤原紀香)。側室は瑞春院・お伝の方(小池栄子)、寿光院 ・大典侍の局(中山忍)にあと一人、清心院・新助の方がいますが、第6話時点では姿をみせずドラマに登場するかどうかはさだかではありません。

安子(内山理名)は母・阿久里(萬田久子)とともにお手つきで歴史上は正式な側室ではありません(お手つきそのものが史実ではないという説もあります)。
そして綱吉の正式な子はお伝の方が生んだ長女・鶴姫と死んだ長男・徳松だけ。ドラマ中に安子が綱吉の子・長丸を産んで、どう説明するのかと思ったら桂昌院(江波杏子)によってなかったことにされました(そうきたか)。

お世継ぎ争いの波乱要素として第7話から浮上しそうなのが柳沢吉保(北村一輝)の側室、染子(貫地谷しほり)の出産。史実としては染子はまず綱吉のお手つきになって柳沢吉保に下賜。しかし実際は染子は綱吉のものという扱いで、大奥に通いながら子どもを産み、その子は柳沢吉里となります。


お伝の娘婿の弟が暴れん坊将軍


一方、お伝の方の長女・鶴姫は御三家の紀州藩・徳川綱教に嫁いでいます。綱教は家康のひ孫であり綱吉の義理の息子にもなったことから、お世継ぎ候補になりました。しかし綱吉より早く死んだため果たせませんでした。

綱教は徳川吉宗の兄であり、大河ドラマ『八代将軍吉宗』でこのあたりのことが紀州藩側から描かれていました。
大河ドラマ『吉宗』はやたらと人が病死するドラマで、その結果として紀州藩の三男坊だった吉宗に将軍職が転がり込んだんですが、昔の平均寿命は短かったというのがよくわかります。

ちなみに綱吉は1709年に死去、その1ヶ月後に正室・信子が死んでいるため、信子が綱吉を殺害し後を追ったという説があります。これはドラマになりそうですね。