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団塊ジュニアが語る、郊外型子育ての実感(4ページ目)

郊外育ちの団塊ジュニア、ガイド河崎。なぜまた子育ての場所として郊外を選んでいるのか? 郊外生活の光と影の実感を、現代思想・社会学系の言説に触れながら語ります。

河崎 環

執筆者:河崎 環

子育てガイド

少年達は、ニュータウン育ちゆえに犯罪を犯すのか?

丘の向こう側
丘の向こう側。見渡す限りの家また家
神戸の酒鬼薔薇事件がニュータウンで起きた事件だったということで、「ニュータウンの土地的な特性が、子どもの心理を歪ませ、猟奇的殺人に駆り立てる」という言説が説得力を持った時代があった。

それをニュータウンの病理と呼ぶようだが、少年を題材とした小説作品に定評のある、作家 重松清は、もっともらしく語られる「ニュータウンの病理」に違和感を持ったのが小説執筆のきっかけとなったと話している。

ここでは郊外の新興住宅地とニュータウンという言葉をひとくくりにして語らせてもらうのだが、郊外で育った子どもにとっては、郊外こそが原風景であり、実感の源だ。郊外育ちの私の性格が歪んでいる(笑)のは「お前が郊外育ちだからだ」と言われるのは、郊外に対して失礼ではなかろうか。残念ながら、多分もともとの資質だ。「郊外育ち」の少年少女の数が多いのは、郊外が子育て家庭の住宅取得に手ごろであることを考えれば自明。母数が多ければ、いろいろなケースが出てくるのも道理である。

ブランド化する郊外、「ジャスコ化」する郊外

ブランド化する郊外
ブランド化する郊外
建築家には、郊外の住宅地は風景として醜悪である、と唾棄する人が多いようだ。わけのわからない少女趣味に彩られたショートケーキハウス、ヨーロッパ風だのアメリカ風だの北欧風だのと称しながら和室もある、切り貼りされたような奇妙な住宅の数々に、アーティストとしての美意識が逆撫でされるのは無理もないことと思う。

住民の多くがその風景を「整っていてキレイ」と感じ、「こんな町に住んでいる自分達は恵まれている」と、駅前のショーウィンドウに映る自分の姿をちらりと見て満足しているのも、ランドスケープのプロからすれば思わず叫び出したくなるほど我慢ならないかもしれない。

郊外には、ブランド化している街と、そうでない街がある、と東浩紀・北田暁大 両氏は『東京から考える』で指摘する。ブランド化している成城や青葉台は、ドラマのロケなどに使われることでそのイメージが再導入され、店や住宅のデザインに取り入れられた、ブランドの「再帰的強化」の成功例なのだと。

一方で、東・北田両氏が「ジャスコ化」と呼んで悲観するのは、国道16号線のロードサイドにあるような、郊外型の大型店舗やファミレスが建ち並ぶ、ペラペラの郊外の姿である。「そこ」である必要が何もない、「どこでもいい場所」。しかし、郊外が本来的に労働者のベッドタウンであるからには、それが最も郊外らしい姿、「生のリアリズムと快楽」、つまり欲望と生活がミックスした、生々しい光景なのだと私は思う。

ブランド化した郊外の街が、徹底的に猥雑さを排除する傾向にあるのに比べて、「ジャスコ化」した郊外の街は欲望に寛容だ。ディズニー社が、著作権保護のためにどんな小さい国のどんな小さい不法コピー商品も見逃がさずに告発するロジックを「ブロークンウィンドウ理論」と呼ぶが、それを想起させる。

綺麗な街に、窓一枚でも割れたままで放置されると、それを見た者は「この街は、窓を割っても許容されるのだ」と理解する。無法者はそのようなサインに敏感で、一枚のみならず、次々と窓を割り始める。だから、ただの一枚でも割れた窓を放置してはならない、一切の破綻を見逃してはいけない、という理論だ。

ブランド化に成功した郊外の街は、「ブロークンウィンドウ」的な考えに基づいて、コミュニティの「モラル観」に肯定されえる欲望(グルメやショッピング、教育など)だけを集中的に肥大させていく。一方で、ひとたび生(なま)の欲望に寛容さを見せた街は、なし崩しに猥雑さを増すだろう。


>>>ブランド郊外は「アッパーミドル幻想オタクの街」!?>>>
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