「家庭内に踏み込まない」。日本の法律の限界
根強い役所不信もありますが、それでも「おせっかいでも半歩身を乗り出して通報することができれば、防げる虐待がある」というのが児童虐待防止のスローガンです。怖くて注意できない、言えない、だから不干渉でいるということがむしろ虐待を地域で見逃すことになるのだと。地域の力が弱くなった現代、もし地域の力があれば「赤ちゃんポスト」は要らないのかもしれません。いつの時代も、産んだ子どもを育てられない状況にある女性は決して少なくありません。しかし、昔なら近所へ適当な里子に出すことで、地域で補完できていたものが、現代は地域とのつながりがないゆえに「乳児遺棄」になってしまうのだ、と佐竹さんは指摘します。
日本の法律の根本として、性にともなう話はタブーなのだ、とも佐竹さんは言います。家庭に法律は不介入、が日本の民法の特徴でもありますが、その点でもDV法は法律が家庭に踏み込んだ画期的なものでした。「性の奥深さ、あるいはおぞましさの上に立つ社会事象を法律に置き換えるのは困難なのです」。
例えば、内縁関係にある夫婦が、一方の連れ子を虐待して死に至らしめる事件を、何度も聞いたことがあるでしょう。なぜ、内縁の夫(妻)が実の子への虐待をするのを、実の親は止められないのか。あるいはなぜ、「育てられない」子どもを、それでも出産する女性たちがいるのか。その根本は、法秩序では救いきれない「性」にあるのだと。
大阪市の大学で、児童福祉専攻の学生たちを指導する立場にもある佐竹さん。「子どもが好きという理由で児童福祉を学ぼうとする10代学生達には、わからないだろうということがたくさんある。むしろ児童福祉というのは、そのイメージとは裏腹に、性の深淵を知りえた人にこそ学んで欲しい学問なのです」。
養子縁組という選択
佐竹さんは、代理母出産や極端な人工授精などの事例を聞くたびに、どうにかして養子縁組という選択肢を考えてくれないだろうかと思うそうです。担当する養護施設では、養子縁組はこの5-6年間でほんの2-3組成立したのみ。養子縁組は、せっかく登録してもなかなか紹介がなかったり、手続きが複雑だったりというイメージがあるために、日本では成立件数は非常に少ないといわれます。欧米では自分の子どもがいても、さらに積極的に養子を迎える家庭も多く、その点でも養子に対する考え方が違うようです。
日本では、行政がもともと養子縁組のあっせんに消極的な姿勢を取っているとも感じられます。養子縁組を申し出た人には担当者がつき調査をしますが、この担当者が非常に少ないとのこと。いきおい、成立件数も少ないものとなります。
佐竹さんは、児童福祉の現場から、「いま、育てることのできる子」を大事にして欲しいと訴えます。行政には、高齢者の認知症キャンペーンと同じ力を児童にも注いでくれれば、と。財源不足から人員が少ないために、子どもたちにしわ寄せが行く。それが児童福祉の現場なのです。