長崎県佐世保市の小6同級生殺害事件。
加害女児の心理を解明しようとマスコミが躍起に
なっても、結局は闇の中。しかし、臨床心理士の
生田倫子先生へのインタビューで、謎の解明が進みました。


監修: 教育学博士・臨床心理士・家族相談士 生田倫子(いくた みちこ) 先生




動機は闇の中?


6月1日午後零時20分、長崎県佐世保市の市立大久保小学校で、小学校6年生の女児が首をカッターナイフで切られ、失血死させられました。

カメラ
激しい報道合戦

その「血まみれ」の現場の様子とともに、事件は連日センセーショナルに報道されました。事件の残虐性から、同級生の加害女児は殺人の非行容疑で家裁に送致され、精神鑑定を実施されることとなりました。

そこでなぜ小6女児がそのような残虐な行為に及んだのか、マスコミはその心理を解明しようと躍起になりましたが、結局はどの専門家も「精神鑑定の結果待ち」としかコメントできず、動機は闇の中です。しかし、女児はどのように「病んでいる」のでしょうか?一見普通の子供が事件を起こす昨今だからこそ、こういった事件が起きる度に、単純に精神の病と片付けることはできないように思います。


友人関係への依存


初期の報道では、犯行の動機として被害女児・加害女児のインターネットでのやり取りが大きく取り上げられました。被害女児・加害女児がお互いに開設しているホームページの掲示板に中傷を書き込み、お互いのホームページの「荒らし合い」をし、実際の教室でも険悪な仲になったと言われています。

ここで見られるのは、「友人関係への強い依存」であると、自らもスクールカウンセラーとして少年少女たちのこころと向き合ってきた、臨床心理士の生田先生は言います。

友人関係
女子は友人関係に依存
この年頃の子供、特に女子は、友人関係に強く依存する傾向が高まります。とりわけ家族関係がうまく機能していない場合、この依存傾向がさらに強まり、友人関係こそが自らの存在意義になってしまう傾向があります。

マスコミでは、「掲示板」というネット上のコミュニケーションスタイルが特に槍玉にあがっています。確かに「掲示板」というコミュニケーションスタイルは、「対面」で行われる話し合いにくらべ、表現がエスカレートしていくという性質を持っています。しかし、コミュニケーションが「掲示板」のみで行われたわけではなく、加害女児が被害女児と2回ほど直接話し合ったという事実等を考えると「掲示板」を一番の悪者にするのには無理があります。結局「掲示板」は、新しいコミュニケーションスタイルの1手段に過ぎなかったのではないかという印象があります。

むしろ、注目すべきは加害女児がそこまで「親友」との関係にはまり込まざるを得なかった状況です。この女児の場合にも、家庭内に誘引要素があったのではないでしょうか。「部活をやめなければならなかった」という背景も、なにか家庭内の葛藤やストレスを示唆しています。報道によると、母親に部活を辞めさせられたとのことですが、それで「この子の母親は、子どもの気持ちを考えない親なのだな」と単純に考えてはなりません。母親がこのように、子どもの気持ちを無視せざるをえなかったような力動が家庭内にあったかもしれないからです。これは、多世代同居では往々にして起こりうることです。


「マグマ」と「引き金」


怒り
怒りが凝縮していく
思春期に入った子供が、攻撃的な気分を持つこと自体は珍しいことでも何でもありません。(「クラスメートを殺したくて仕方がない」と訴える少女への、生田先生のカウンセリング例はこちら)ただ、加害女児にはマグマのような「怒り」や「殺したい」という衝動があり、それがなんらかの引き金によって爆発し、このような事件が起こったと考えられます。

これほどまでに強烈なマグマの源泉となったものは何なのか、それは精神疾患なのか?生田先生はそれに対し、報道を見る限りは今のところ精神疾患と断定できる材料はあまりないとの意見を持っています。精神疾患というよりは、偶然的な状況が重なり、ネガティブな材料がパズルのように組み合わさって、はまってはならない最後の1ピースがはまってしまった感じがするのです。


鍵は「強烈な自己暗示」


生田先生の分析によると、加害女児が凄惨な殺人を実行した、その鍵は強烈な「自己暗示」です。

思春期の子供が、「アイツを殺してやる」などと攻撃的な気分を持ち、『バトル・ロワイヤル』などの暴力的なメディアに触れると「すっきりする」というのはよくあることです。そして、その時点で子供の気分は緩和され、普通の状態に自然と戻ってしまうのです。

カッター
殺人を自己暗示
しかし不幸なことに、加害女児はそうではありませんでした。凶暴なメディアに触れ、そのまま何度も殺人を「想起(シミュレーション)」してしまった、これがこの事件の核心のようです。

「想念」とは、非常に影響力の強いものです。スポーツ選手などが何度もイメージトレーニングをするのも、イメージが実際に体を動かす力を知っているからです。加害女児は、おそらく何百回、何千回と繰り返し想起したのでしょう。どう被害女児を呼び出し、どう殺害し、どう死体を扱うか、そればかりで頭がいっぱいになったに違いありません。

この止まない想起は、ある種、神経症的ではあります。罪悪感があるほど、止まらないのです。(「クラスメートを殺したくて仕方がない」と訴える少女への、生田先生のカウンセリング例はこちら)やがて、「自分はできる」「自分はやるんだ」という自己暗示にかかっていきます。

通常だとこのような想起は、日々の日常の中で友人関係の状況が好転したり、家族の葛藤が好転したりする中で、強まっては緩和されというのを繰り返していくものです。しかし、加害女児は運悪く「あの子を殺してやる」という想起が緩和される材料なしに、煮詰まって沸点までたどり着いてしまったという印象があります。

加害少女にとっては、この何千回も想起したイメージ通りに、殺人行為はスムーズに終了したはずです。犯行後に被害女児の死体を侮辱的に扱ったという報道からも、それさえもが「想起」の一部であったことが読み取れます。

ところが一転、犯行が終わったあとの加害女児はぼんやりと血まみれの服装で教室に帰り、「救急車を呼んで」と呆けたように言ったと伝えられています。自己暗示が解けた瞬間、加害女児は自分のシミュレーションが現実を伴って終了したという実感なしに、もう殺人の想起にとらわれなくなったのです。

言葉を変えるならば、「悪い夢でも見ていたような気分」「なぜあんなに固執していたのか今では分からない」、そんな心境だったかもしれません。

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