見る度に新発見のある奥深さ
クーペの後継モデルとして、'07年のジュネーブショーで発表されたマセラティグラントゥーリズモ |
最近のマセラティを見ていて思うのは、ようやくブランドが持つ伝統と格式が、クルマの雰囲気となって現れてきたな、ということだ。言い換えれば、'80年代以降からつい最近までのマセラティは“自分喪失”の時代にあって、それはそれで魅力的なクルマも幾つかあったものの、全体的に見ると強烈なレゾンデートルに乏しかったように思う。今は違う。
特に、このグランツーリズモの登場で、マセラティは完全に蘇った。グロテスクと紙一重のエレガントさはイタリアンデザインの真骨頂だろうし、そのディテールを切り取ってみれば古典的かつ繊細な美が散りばめられているのだと判る。奥深さこそが、1台のクルマと長く付き合える秘訣であるとするならば、さしずめこのGTには、見つめても見つめても飽きないスタイリング上の奥深さがあって、オーナーになれば見る度に新発見があって、長い付き合いになってゆくのではないか。
ピニンファリーナデザインによる外観は、コンセプトモデル「バードケージ75」からインスピレーションを得たという |
要は、相性の問題だと思う。イタリア車には特に、乗り手を選ぶ傾向がある。もちろん、実際に選ぶのは人の方なのだが、結局、気に入るも気に入らないも、そのクルマが乗り手に対してどう振る舞ったかが判断の源だ。だとすれば、クルマの方にも篩(ふるい)があると言っていい。
スタイリング上の奥深さに気付くことができるか否かを最初の篩だとすれば、次はやはり乗り味ということになろう。無味無臭の多い日本車とは違って、相当に濃い味付けだ。たとえば、ドイツ車あたりだと、人間を100%信じ切っていないという本音がそこかしこに現れて、それはそれで安心するのだけれど、どこか瑞々しさに欠けるきらいがある。
対してイタリアンカー、特にマセラティGTを同価格帯の高級ジャーマンGTと比べてみると、こちらの方がはるかに人との共同作業を行っているという感覚が強い。運命は共々だよ、最後は貴方の気持ちに委ねているんですよ、という姿勢が、例えば高速コーナリング中の軽快なノーズの動きなどに現れる。巌のような安定感を伴って駆けぬけるジャーマンGTたちとは、根本的に異なる思想が、クルマの中に籠められている。
そこに、共感できるかどうか。
だから、例えば同じようなカテゴリーだからと言って、BMWの6シリーズあたりからマセラティGTに乗り換えると、その違いっぷりに驚くことなるだろう。BMWの方が断然良かった、と何の戸惑いもなく思えた人は、おそらく他のどのイタリア車に乗ってもそう思うはずだ。ドイツ車を乗り続けた方が幸せだと思う。逆に、こんな世界もあったのか!と思わず笑みがこぼれたような人ならば、ぜひ、これを機会に、イタリア車の世界にのめり込んでみて欲しい。
ポルトローナフラウ製レザーなどを使った贅沢な仕上がり。インパネ上部はマセラティの特徴であるVラインを描く |
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