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青山博一がGP250世界王座を獲得!

オートバイ・ロードレースの世界選手権「GP250」クラスで青山博一が悲願のワールドチャンピオンに輝いた。日本人として6人目の世界王者に輝いた期待の日本人ライダーを改めて紹介する。

辻野 ヒロシ

執筆者:辻野 ヒロシ

モータースポーツガイド

青山博一がGP250世界王者に輝く!

オートバイ・ロードレースの世界選手権「GP250」クラスで日本人ライダー、青山博一(あおやまひろし、28歳)が悲願のワールドチャンピオンに輝いた。日本人としては6人目の世界チャンピオン、そして数多くの日本人ライダーが活躍した中量級「GP250」クラスでは原田哲也、加藤大治郎に続く3人目の世界チャンピオンである。
春に開催された日本グランプリで好走した青山博一
【写真提供:MOBILITYLAND】

【日本人の2輪レース 世界チャンピオン】
1977年 片山敬済(かたやま・たかずみ) 350ccクラス
1993年 原田哲也(はらだ・てつや) 250ccクラス
1994年 坂田和人(さかた・かずと) 125ccクラス
1995年 青木治親(あおき・はるちか)125ccクラス
1996年 青木治親(あおき・はるちか)125ccクラス
1998年 坂田和人(さかた・かずと) 125ccクラス
2001年 加藤大治郎(かとう・だいじろう) 250ccクラス
2009年 青山博一(あおやま・ひろし) 250ccクラス

青山は日本人として6人目、8年ぶりの日本人による世界王座獲得であった。

紆余曲折、苦労の末に掴んだ世界チャンピオンの座

青山博一
【写真提供:本田技研工業】
今シーズンの開幕を前に青山博一のチャンピオンを予想できた人はほとんど居なかっただろう。本人には失礼な話だが、本人もチャンピオンは簡単には意識できなかったかもしれない。今年の青山の船出はそれほどに険しかった。

昨年10月、青山が所属したオーストリアのバイクメーカー「KTM」が突然の撤退を発表した。「KTM」に移ってから海外メーカーのワークスライダーとして活躍し、2年間で4勝をあげていた青山だが、昨シーズンは1勝もあげることができずに不遇のシーズンを送っていた。
昨年まではKTMで戦っていた青山博一
「KTM」撤退で宙に浮いた青山のシートに手を差し伸べたのは、古巣で育ての親とも言える「ホンダ」であった。スコット・レーシングチームからの参戦、ホンダ復帰が正式に決定したのは昨年の年末のこと。世間はリーマンショックを発端とする世界同時不況に陥り、全く先が見えない最中のことであった。

すっかり見慣れたKTMのオレンジのツナギから、シルバーのツナギへとチェンジした青山だが、昨年までのようなワークスチーム体制ではなくプライベーターとしてレースを戦わなければならなかった。

しかも、再び跨ることになったホンダRS250RWはすでに開発が終了したマシンであり、大幅なアップデートは行われないマシン。一方でライバルとなると予想されていたライダーたちはアプリリア製のワークスマシン(ジレラも同じ)に乗っており、苦しい戦いが予想されていた。ましてやシーズン開幕時にはスペアマシンもない超小規模体制の船出であった。
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