シーズン終盤にはヤルノ・トゥルーリ加入!!
2003年の上昇気流に乗って2004年のトヨタはいよいよ表彰台を狙っていくムードに包まれていた。車体の開発を担当するテクニカル・ディレクターにルノーを浮上に導いたマイク・ガスコインを加入させ、彼の手腕には大きな期待が集まっていた。2004年のドライバーはシーズン当初は引き続き、ダ・マッタとパニス 【写真提供:Toyota Motorsport】 |
それでも明るい兆しは見えてきた。2005年はマイク・ガスコインが時間をかけて制作したプライムマシンが投入されること。そしてシーズン終盤に優勝経験もある実力派のヤルノ・トゥルーリが加入。勝てるチーム体制作りがいよいよ始まった。
一躍トップチームの仲間入りを果たした2005年
トヨタF1の2005年は飛躍の年となった。トゥルーリに加え、ラルフ・シューマッハが加入し、優勝を狙えるドライバー2人のラインナップで開幕戦からトップ争いに加わっていくことになる。第2戦マレーシアGPでトゥルーリが、トヨタにとって初めての表彰台となる2位表彰台を獲得すると、次戦バーレーンでも2位、ラルフ・シューマッハもシーズン後半に2度3位表彰台にあがるなどして大量88ポイントを獲得し、コンストラクターズランキングも4位と急浮上した。2005年、トヨタの資本でリニューアルした富士スピードウェイで開催されたトヨタモータースポーツフェスティバル。躍進の年、エースのトゥルーリ来日で盛り上がった。後ろには中嶋一貴の姿も見える。 【写真提供:Toyota Motorsport】 |
2006年はマシン作りに完全失敗、不本意なシーズンを送る
トヨタF1チームにとって参戦5年目の節目であり、大きな期待がかけられた2006年は1月14日の新車発表からスタートした。ドライバーラインナップの変更はなし、テクニカル・ディレクターもマイク・ガスコインと変わらずだったが、この年からタイヤがブリヂストンのワンメイク供給へと変更になったことが、後に大きな痛手となって現れてくることになる。トヨタのフランスにある工場の「ヤリス(日本名ヴィッツ)」の生産ラインで体制発表会が開催された。 【写真提供:Toyota Motorsport】 |
結局、2006年はランキング6位で完全失敗のシーズンとなる。