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ありがとう、ノリック。名ライダー逝く(2ページ目)

日本のバイクレース界で常に話題を振りまいてきたトップライダー、阿部典史選手が交通事故で亡くなった。彼の功績、偉大さを振り返り、名ライダー阿部典史、ノリックを追悼する。

辻野 ヒロシ

執筆者:辻野 ヒロシ

モータースポーツガイド

テレビの中のカリスマが日本のレースに新風を

鈴鹿のテスト中に談笑するノリック
ノリックはまだ32歳という若さでこの世を去った。

ガイド自身はノリックと1年しか歳が変わらないが、ガイドにとってノリックは「ブラウン管の中の人」だった。彼はすでに「日本代表」格のライダーとしてグランプリレースを戦い、世界中のファンを熱狂させていた。ノリックが日本で走るチャンスは年に1度か2度程度しかないので、若いロードレースファンにとってはテレビや雑誌の中でのカリスマだったのではないだろうか?

そんなノリックが日本に帰ってきて、全日本ロードレースを戦うことになり、私は時間を割いて雨の鈴鹿で行われたテスト走行を取材した。真っ白なマシンは新しいスタートを印象づけるものだったが、当日のピットにはパテーション等の装飾もなく、ごく一般的なプライベートチームと変わらない雰囲気で、世界を戦ったノリックにとっては少々寂しい光景に映ったものだ。
阿部典史


確かに体制は完璧なナンバーワンチームとは言えるものではなかったが、ノリックは明るく前向きにレースに取り組み、観客や関係者を大いに魅了した。テスト中はピットロードで豪快なウィリーを披露し、レースでは常にロケットスタートを決めて先頭に立つという「お約束」的なパフォーマンスでエンターテイナーぶりを発揮。ファンの声援には笑顔で応え、サインに応じ、ピットリポーターのインタビューにも積極的に答え、常にファンに向けての感謝のコメントを忘れない人だった。

「おーっ」と興奮させてくれるスーパーパフォーマンスはノリックの持ち味であり、今年、鈴鹿8耐や全日本ロードレースを見に行った人は少なくとも1度はノリックに「魅せられた」瞬間があったのではないだろうか?

観客が減少し、メーカーワークスチームも撤退し、興行イベントとして厳しさが増す全日本ロードレースがノリックの復帰で変わろうとしていた。そんな矢先、しかもシリーズランキング3位で最終戦・鈴鹿での逆転チャンピオンを自身のホームページで宣言した直後だった。
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