“2次元空間である1枚の紙を折りこんでいくことにより、
立体的な3次元の世界へと変化させていくことができます”
夢があって、マジックのようですね。そんな魅力に大人も子どもも引き込まれてしまいます。
ところで、折り紙って、いつの時代からあったのでしょうか。
今回は、日本の伝統文化である折り紙の歴史からお話ししたいと思います。
平安時代の貴族社会では、貴重品の紙を使って贈り物を包むことが流行していました。手紙や贈り物を包んだときに、紙に折り目がつくことに着目して、包みを美しく折って飾ることから始まった、当時の流行です。
室町時代には、真心を相手に伝えるために紙の折り方も工夫していくようになりました。このことが、実用的または礼法的な折り紙文化を生み出したのです。現代では、赤と白の紙を折った飾りである熨斗(のし)として、姿を残しています。
鶴や舟など、具体的な物の形に見立てて折る伝承折り紙は、遊技折り紙として室町時代に生まれ、江戸時代に庶民の間に普及しました。
元禄時代ごろから、折り鶴や舟などの折り紙が衣装の模様として流行し、さかんに浮世絵などにも描かれるようになりますので、このころから折り紙が急速に広まっていったことが分かります。
そして、1797年には現存する世界で最古の『遊技折り紙』の本『秘傳千羽鶴折形』が日本で出版されました。ここでは1枚の紙に切りこみを入れ、連続した鶴を作る折り方49種が紹介されています。
『秘傳千羽鶴折形』
【折り紙探偵団】
63ページのうちの3ページ
「協力 日本折紙学会」
「秘傳千羽鶴折形」サイト上では拡大して見ることができます。
一方、ヨーロッパでは、ドイツの教育学者フレーベル(幼稚園の創設者)が幼児の遊び道具として 教育遊具(20種類の恩物)を考案・制作し、その中に折り紙を取り入れました。
そして明治新政府の指導のもと、幼稚園はフレーベルの教育法を積極的に取り入れ、折り紙が逆輸入された形になりました。
その教育法の中にヨーロッパの伝承折り紙と、それから発展させた幾何学的な模様折りなどが含まれており、以降の日本の折り紙に大きな影響を与えました。
明治時代には、多くの作者により数々の新作も考えられましたが、一般には、教えられた折り方の通りに折るものとされていました。したがって、大正時代以降の創意工夫を重視する教育界の中で、折り紙は創造的でないと考えられ、社会的に冷遇されていた時期もありました。
しかし、長い歴史を持つ折り紙文化は見事によみがえり、現代では創作も盛んになり、教育的意味も見直され、豊かな可能性が認識されてきました。折り紙は「ORIGAMI」として世界中に広まっており、各国に愛好家の組織が結成されています。