ウイスキー&バー
ウイスキー雑学・業界情報(2ページ目)
ウイスキーの世界は奥深い。ここではウイスキーの知って得する雑学や業界最新情報、歴史などを紹介する。
All About注目リンク
PR記事一覧
山崎蒸溜所100周年2/桜の魂はウイスキーに宿る
ガイド記事達磨 信桜は歌に詠まれ、ウイスキーに映しとられる椎尾神社の鳥居と桜まだ、春は名のみ、である。東京では梅の開花のニュースさえ流れていない。それでも桜の話をしたい。わたしはウイスキーをバラの花にたとえて語ることがある。このサイトでは、かなり前のことになるが2005年に『セクシーに愉しむバラの花束』というウイスキ...続きを読む
山崎蒸溜所100周年1/貴人たちへの分け前
ガイド記事達磨 信エンジェルズ・シェアは貴人たちのもの山崎蒸溜所貯蔵庫2003年、いまからちょうど20年前の山崎蒸溜所80周年の年、「シングルモルトウイスキー山崎12年」が権威ある酒類コンペティション、ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)で金賞を受賞した。このときの香味評価において“ノーブル”と表現さ...続きを読む
日本のウイスキーづくり80周年、情熱の時代 ひとりの男の魂が宿った、傑作
ガイド記事達磨 信誰もが反対したウイスキー事業米一升25銭、タバコのゴールデンバット7銭、理髪30銭、ビール大瓶30銭という時代に、日本初の本格ウイスキー『白札』が誕生している。1929年(昭和4年)のことだった。この頃、まだ珍しい存在だった大学卒のサラリーマンの初任給が50円。月収40円もあれば夫婦と子供ひとりの3...続きを読む
山崎蒸溜所100周年・やまざき物語序章
ガイド記事達磨 信1923年蒸溜所建設着手から100年天王山に抱かれた山崎蒸溜所2023年。サントリー山崎蒸溜所は100周年を迎えた。ちなみに白州蒸溜所は50周年となる。1923年の建設着手からはじまる日本初の本格モルトウイスキー蒸溜所としての歩みは、日本のウイスキーの歩みそのものである。1929年に「サントリーウイ...続きを読む
炭酸水とハイボールの歴史6/超炭酸を生む「ゼウス」
ガイド記事達磨 信明治35年、日本にもソーダ・ファウンテン登場現代のソーダ・ジャーク19世紀後半のアメリカの薬局にソーダ・ファウンテン(炭酸水のディスペンサー)が設置されるようになり、さまざまな味わいのソーダ水が人気となった。そして皆が憩う一角そのものがソーダ・ファウンテンと呼ばれるようになったことをこのシリーズ3と...続きを読む
炭酸水とハイボールの歴史5/禁酒法が生んだコーラ
ガイド記事達磨 信はじまりはフレンチワイン&コーラしばらくぶりに炭酸水とハイボールの話をしよう。前回の『炭酸水とハイボールの歴史4/アイスクリームとコラボ』では、19世紀後半のアメリカでソーダ・ファウンテンやアイスクリーム&ソーダが人気を高めていった様子を述べた。炭酸水の医療効果が信じられていたことと、禁酒運動の高ま...続きを読む
炭酸水とハイボールの歴史4/アイスクリームとコラボ
ガイド記事達磨 信ソーダ水とアイスクリームのコラボオールドタブ復刻版4回目となる今回はアメリカがどのようにして炭酸飲料王国になっていったかについて述べたい。前回記事『炭酸水とハイボールの歴史3/ソーダ・ファウンテン』で語った、19世紀半ばにソーダ・ファウンテン(炭酸水のディスペンサー)がドラッグストアのカウンターに設...続きを読む
炭酸水とハイボールの歴史3/ソーダ・ファウンテン
ガイド記事達磨 信炭酸水はドラッグストアで飲むものジン・リッキー19世紀前半のヨーロッパではワインとソーダ水の「スプリッツァー」が流行した。このことは『炭酸水とハイボールの歴史1/炭酸飲料のはじまり』で述べたが、その後につづいたのは「ブランデー&ソーダ」である。19世紀半ば過ぎにはイングランドの上流階級の間ではかなり...続きを読む
炭酸水とハイボールの歴史2/セルツァーとは何だろう
ガイド記事達磨 信18世紀末、ドイツから世界に広まったセルツァー・ウォーターこだわり酒場のレモンサワー前回記事の最後に、次回は19世紀後半からの話をしたいと述べたが、その前に語っておかなければいけない歴史があった。大変申し訳ない。2回目の今回は天然炭酸水について触れたい。前回『炭酸水とハイボールの歴史1/炭酸飲料のは...続きを読む
炭酸水とハイボールの歴史1 /炭酸飲料のはじまり
ガイド記事達磨 信当初は、医療効果が高いと信じられていたスプリッツァーウイスキーのソーダ水割り、ウイスキーハイボール人気がつづいている。そこでしばらく、炭酸水、そして炭酸飲料の歴史について語ってみたい。3年以上も前のことになるが『ウイスキーハイボールの歴史1・酒をソーダ水で割る』からはじまる4回のシリーズをおこなった...続きを読む