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東京市部[武蔵野市・三鷹市・調布市・府中市・西東京市ほか]
東京市部(稲城市・国立市・国分寺市・多摩市・調布市・西東京市・八王子市・日野市・府中市・三鷹市・武蔵野市・町田市)にあるおすすめの街、気になる街の住みやすさを詳しく解説します。
記事一覧
高尾、相次ぐ大型商業施設開業等で宅地開発も急ピッチ
ガイド記事中川 寛子圏央道開通で足回りの利便性アップ外国人客も多く、国際的にも人気の高い観光地・高尾山(クリックで拡大)2007年に仏タイヤメーカー「ミシュラン」の観光ガイドブックで最高の三つ星を得た高尾山(東京都八王子市)は年間260万人以上の登山客が訪れる「世界一登山客の多い山」。新宿から約50分で行けるにも関わら...続きを読む
立川、多摩地区の中心地として発展・変化
ガイド記事中川 寛子中央線開通で変貌を遂げた立川JR立川駅構内。多摩都市モノレールの立川北、立川南はJR駅を挟むように、至近距離に立地する(クリックで拡大)中央線特区別快速で東京駅から40分、新宿駅からは25分ほど。立川駅が立地するのは東京都の島嶼部を除いた地域の中央よりやや西側の武蔵野台地上。JR中央線、南武線、青梅...続きを読む
狛江、緑と川、絵手紙と音楽のある静かな街
ガイド記事中川 寛子市役所から半径2kmに市域、コンパクトな街、狛江都の史跡となっている兜塚古墳。こんもりとした小さな高まりがかろうじて分かる(クリックで拡大)市役所を中心とした半径約2kmの円内に収まるコンパクトな街、狛江(狛江市)。南に多摩川、北は国分寺崖線、野川に面しており、少し歩けば水辺の風景がある街で、その立...続きを読む
玉川学園前、大学のために作られた坂の街
ガイド記事中川 寛子大学が土地を購入、駅を誘致して作り上げてきた街階段自体は大変なのだが、登り切ったところ、しかも住宅内からは素晴らしい眺望が広がる(クリックで拡大)大正末から昭和初期にかけて学校を中心に作られた街がいくつかあります。そのうちのひとつが成城学園前で、それを手掛けたのと同一人物がその後に作ったのが玉川学園...続きを読む
つつじヶ丘、静かな一戸建て中心の住宅街
ガイド記事中川 寛子つつじが多い街だったからつつじヶ丘?住宅開発によって駅名が変わった街甲州街道沿いに大きなイチョウの木があり、町名が金子だった時代からのものだという(クリックで拡大)1913年(大正2年)の開業時、当初は金子という駅名で誕生したつつじヶ丘駅。改名は1957年(昭和32年)のことで、これは当時、八高線に...続きを読む
武蔵境、大学と団地、せせらぎのある街
ガイド記事中川 寛子中央線、西武多摩川線がクロス、大学などが多く、若い人の姿も多数駅から歩いて10分ちょっと。亜細亜大学はアジア地域を中心に、中東や欧米など世界各地域の言語を学べることで知られる(クリックで拡大)中央線沿線には大学を始めとした学校の多い街が少なくありませんが、新宿から中央線で約20分、武蔵境(東京都武蔵...続きを読む
町田、自然、歴史と今が交わる交通の要衝
ガイド記事中川 寛子縄文時代から人が暮らした場所、明治に入って「絹の道」として繁栄東神奈川駅から八王子駅を走るJR横浜線。町田で小田急線と接続、その他東急田園都市線、新幹線、京王線、横浜市営地下鉄などと乗り換えが可能(クリックで拡大)町田の由来には3つの説があります。「町」は田の区画を意味し、「町田」は区画された田であ...続きを読む
西国分寺、雑木林と畑の残るのんびりした街
ガイド記事中川 寛子再開発以降、年々乗降客は増加、駅ビル誕生で利便性もアップ駅のすぐ近くにあった保存林。国分寺は史跡、緑が多く、また、防災にも力を入れている自治体だ(クリックで拡大)武蔵野線と中央線の乗り換えの便を図るため、昭和48年に開設された西国分寺駅(国分寺市)。もともと、市街地があったところにできたわけではない...続きを読む
ひばりヶ丘、団地建替え、再開発で変化目前
ガイド記事中川 寛子昭和30年代に登場したマンモス団地が街を牽引してきたひばりヶ丘池袋行き、新木場行き、元町・中華街行きと、乗り入れ、延伸により、行き先が増え、便利になった西武池袋線(クリックで拡大)1924年に開業した武蔵野鉄道(今の西武鉄道の前身のひとつ)田無町駅がひばりヶ丘駅となったのは1959年。駅南口から歩い...続きを読む
豊田、団地建直しで変化進行中、水と緑の街
ガイド記事中川 寛子駅北側の多摩平団地で進む建替え、大型商業施設建設もスタート駅北口。バス停、タクシー乗り場を囲んで飲食店などが入ったビルが並ぶ。通りの左右には飲食店、クリニックなども(クリックで拡大)新宿から中央線特別快速で30分余。豊田(日野市)は駅北側に昭和33年に竣工、現在建替えが進む旧多摩平団地が広がり、その...続きを読む