ポートベローマーケットにて
「しかたない、あのときと同じように、あてもなく歩き続けるしかないわ……」
美咲は、ヒースローでチェックインする 3 時間前まで、ポートベローを歩くことにした。
ポートベロー・マーケットは、朝早くから賑やかで、活気に満ちていた。大きなアーケードの中に入っていくと、たくさんの古美術商たちが出店を構えていた。
と、そのとき、美咲は、1 人の古美術商が自分の胸元をじっと見つめていることに気づいた。その男は、美咲に近づいてきて、そのペンダントを見せてくれないか、と話しかけてきた。それは、ロンドンに着いた初日に、偶然通りがかったチャリティショップで買ったものだった。
男は、美咲のペンダントを大事そうに受け取ると、テーブルの上に載せ、拡大鏡を使って丹念に調べ始めた。そして、中を開けてみてもよいかと聞いてきた。
ペンダントが開くということさえ知らなかった美咲は、困惑しつつ承諾した。男がうなずき、ゆっくりとペンダントの端を押すと、それはぱかっと 2 つに開き、中から美しいミニアチュアの肖像画が現れた。
「う~む。思ったとおり、ファベルジェですな。保険はかけておいでかな?」
話がまったく理解できない美咲に、男は説明を始めた。
「これは、ロシア皇帝の宝飾職人、ファベルジェの手になる傑作の 1 つ、『天使の翼』に間違いありません。ロシア革命後、行方が分からなくなっていた名品です。まさかロンドンをさ迷っていたとは……。ファベルジェの作品は、現在、市場にはほとんど出てきませんが、オークションに出れば数億は下らない、国宝級の品です」
震えが止まらない美咲に、古美術商は、ペンダントの中の肖像画を見せて、言った。
「すばらしい、エナメル細工だと思いませんか?」
そのミニアチュアの肖像画を見た途端、美咲の目に涙がこみ上げてきた。
プラチナブロンドの髪、透き通るような青い瞳、そしてあの、温かい誠実なまなざし。美咲には見覚えがあった。
「この方がどなたか、ご存知かな?」
答えを教えようとする男をさえぎって、美咲は、しっかりとした口調で言った。
「もちろん、知っています。その人は、アレックス。私たち一生の友達なのです」と。
【了】