孤独な異邦人
巨大な博物館の中をふたりで歩きながら、美咲はいつしか自分のことを話し始めていた。息をつくひまもないくらい仕事にうちこみ、自信をなくしかけたことも何度かあったけれど、何とか乗り切ってきたこと。ようやくひとつの部署を任されるようになったこと。いいヤツだけど、まだちょっと頼りない部下のこと。結婚して、すっかり主婦になってしまったけれど、よき相談相手でいてくれる親友のこと。気がつくと、これまで誰にも話したことのないようなことまで話していた。
「すてきな友達や部下がいるあなたは、幸せです。僕も、これからもずっと、あなたの友達でいられますか?」
少し間をおいて口を開いたアレックスの透き通るようなひとみの奥に、どこか孤独な静けさが宿っているのに、美咲は気づいた。
大英博物館の中心部にあるグレートコートを歩きながら、美咲は、その最上階がレストランであることに気づいた。そして、何気ない感じで、「ここでティー・タイムにしない?」と言ってみた。
すると、アレックスの端正な顔が急にくもり、ガラス張りの天井を見つめながら、彼はつぶやくように言った。
「レストランには、ご一緒できません。じつは、お金を持っていないのです……」
それから、アレックスは、自分がロシア人であること、ある事情でロンドンに来たが、お金もパスポートもない状態であることを打ち明けた。
美咲は同情した。きっと、スリかなにかに逢ったんだわ。有名な話だもの。どんなに心細いことだろう……、異国の地で、辺りはクリスマス気分でいっぱいだというのにお金もパスポートも持たずに。アレックスがどんな気持ちで冷たいロンドンの街を独りさ迷っていたのかと思うと、美咲は目頭が熱くなってきてしょうがなかった。そんな災難にあっていたとは知らず、半日も観光案内をさせてしまった自分を、美咲は悔いた。
「ごめんなさい。私ったら……、私言い間違えたわ。わたしたちは、ティー・タイムじゃなくて、ロシアン・コーヒー・タイム。さあ、行きましょう!」
美咲は、アレックスを引きずるようにして、グレートコートの最上階にあるレストランに入ると、戸惑うアレックスに構わず、アラカルトの料理と、そしてコーヒーを注文した。
「アレックス、今日は楽しい一日をありがとう。これは、私からのクリスマスプレゼント。メリー・クリスマス!」