民族の誇りを復活させたホクレア号の航海
「ホクレア号航海プロジェクト」のリーダーであるナイノア・トンプソン氏 |
1975年に完成したホクレア号。しかし、すでにポリネシアには伝統航海術を知る人物が存在しなかったため、当時ミクロネシアで遠洋航海を行っていた航海士「マウ・ピアイルグ」を迎え、航海術を学びます。そして、マウ氏は、翌年の初航海でホクレア号をタヒチまで導くことに成功。これは、ハワイの人々にとって民族の誇り、自尊心を復活させる出来事でした。
しかし、往路の航海中にマウ氏とクルーたちに行き違いが生じ、マウ氏は復路には参加せずプロジェクトを離脱。さらに、1978年の2回目の航海では、クルーとして参加した伝説のサーファー「エディ・アイカウ」を失う悲しい事故(以前メールマガジンでストーリを紹介)を経験したナイノア氏は、マウ氏を探し出し、再び航海術を学びます。
そして1980年、3回目のチャレンジとなるハワイ~タヒチの往復航海では、ナイノア氏が航海長を務めて成功。以後、ニュージーランドやクック諸島などポリネシアの島々へ渡り、航海術の継承や航海士の育成、ポリネシア文化の復興などを行ってきました。
※ ポリネシアの伝統航海術、ホクレア号についての資料は、ハワイの「ビショップ博物館」(プラネタリウムで航海術についての作品を上映)、「ハワイ・マリタイムセンター」に展示されています。
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