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アトランタみどころ第2弾 風と共に去りぬの舞台を訪ねて(2ページ目)

アメリカの大型歴史小説の中でも日本人に馴染み深い、「風と共に去りぬ」。その大作を身長148cmの新聞記者の女性が書いたこと知っていましたか?

執筆者:大原 朱理

●マーガレット・ミッチェルハウス
アトランタのガイドとして何度も賞を受けているという名物ガイド、スーザンさんの案内で40分ほどのガイドツアーがスタート。マーガレット・ミッチェルが1900年に生まれ、父親を弁護士に持ち何不自由ない家庭に育ったことなどが説明されます。中でも彼女自身が、スカーレット・オハラの娘に起こったように、少女時代落馬して生涯その後遺症を持っていたことなどが印象的でした。少女時代から暇さえあればペンを持って書いていた少女だったそうです。 その時代にしては珍しく最初の結婚後1年で離婚し、一回目の結婚式に夫側の友人として写真に写っている、ジョン・R・マーシュと再婚し、一生子供を持とうとしなかったことなどかなりスキャンダラスだなと思いました。

マーガレット・ミッチェルハウスの一階にはそういった彼女のゆかりの写真等が展示されています。そしてガイドツアーは更に彼女が実際住んでいた地下の部屋へ。彼女と夫、ジョン・R・マーシュは、この小さなアパートの地下に1925-1932年まで暮らしました。彼女はそのころアトランタ・ジャーナルに週25ドルでレポーターとして雇われていましたが、健康上の都合で辞めほとんどをこの小さなアパートで過ごしました。ほとんど毎日図書館に通って南北戦争の資料を集めたり、南北戦争について経験した人から話をじかに聞いたりして、「風と共に去りぬ」を3年間で書き上げたといわれています。

この小さなアパートは当時の彼女の質素な生活をうかがい知る事ができます。彼女のデスクや小さなソファ、タイプライターのレプリカ、新聞記事の切り抜きなど目の前に見ることができます。「風と共に去りぬ」が1929年に完成後、マーガレットは第一章が気に入らないで70回以上書き直したといわれています。6年にわたって夫以外には誰にも見せず、1935年に友人と夫の勧めによってマクミラン出版社についに原稿を見せ、即出版ということになりました。1936年に出版後、100日間以内に50万部が売れ、現在は30ヵ国語に訳され、聖書の次に売れている本ということです。1937年にはピューリーツァー賞を受賞しています。


●風と共に去りぬ映画博物館
1939年にはクラーク・ゲイブルとビビアン・リー主演で映画「風と共に去りぬ」がクランク・インされ世界中で一大ヒットとなりました。マーガレット・ミッチェルハウスの隣には1999年に風と共に去りぬ映画博物館が新設されて、タラの家のドア、スカーレット・オハラのドレス、映画プレミアー当時の写真、そして映画もテレビのスクリーンですが常時流されていますので、映画ファンとしては必見の場所です。


●アトランタへの旅を終えて
少女時代に夜も眠らず「風と共に去りぬ」の小説を読んだり、映画のビビアン・リーの気丈さにうっとりした筆者にとっては、マーガレット・ミッチェルの人生を知ることは少女時代の自分にちょっと戻った気がした旅でなかなか感慨深いものがありました。2回にわたってお届けしたアトランタへの旅行記いかがでしたか? アメリカ南部はこの他にも魅力あふれた街がいっぱいですのでこれからも引き続きレポートします!

→アトランタ旅行記第一弾「CNNキャスターに大接近!」

→アクセス、マーガレット・ミッチェルってどんな人?

写真提供:ジョージア・ツーリズム
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※海外を訪れる際には最新情報の入手に努め、「外務省 海外安全ホームページ」を確認するなど、安全確保に十分注意を払ってください。

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