沖縄市のまちかど資料館「ヒストリート」
気楽に立ち寄れる沖縄市のまちかど資料館「ヒストリート」
沖縄本島中部の沖縄市。なかでもコザと呼ばれる地域【旧コザ市】は、米軍と深いかかわりがあったことから様々な文化がミックスされ、また、住民も国際色豊かで、エイサーなどの伝統行事からオキナワンロックまで、あらゆる大衆芸能が発達した街として知られています。

そのコザの真ん中「パルミラ通り」に、沖縄市の戦後をテーマにしたまちかど資料館「ヒストリート」があります。沖縄市役所の史誌編集担当が長年にわたって収集した戦後の生活雑貨や写真などが展示されており、コザの歩みが一目で分かるようになっています。

Aサインバーの雰囲気を再現
Aサインバーの雰囲気をリアルに再現しています
ヒストリートの目玉は、Aサインバーを再現したバー・カウンターです。Aサインとは、いまでいう保健所の営業許可証のようなものですが、これが無い店に米軍関係者は入店できませんでしたから、コザで生きる人たちにとってAサインがあるかどうかは死活問題でした。

カウンターには、アメリカ時代のウィスキーやコーラ、ビール瓶、あるいは米軍兵士たちが残していったサイン入りのドル札など、当時を感じさせるモノたちが所狭しと並んでいます。


コザとアメリカの関係がリアルに読み取れるヒストリート
コザとアメリカとの関係がしのばれる展示コーナーもあります
また、終戦後に建設されたカマボコ型の兵舎や基地のフェンス模型なども飾られ、アメリカ時代のコザをリアルに再現しています。

基地が作った街・コザ

沖縄市の人口は約12万人。世帯の構成員数は平均約3人と、核家族化が進んでいるようです。また、沖縄市は卸小売業、サービス業が中心で、第3次産業の割合が約77%を占めます。

沖縄市の面積の約36%は、極東最大の米軍基地「嘉手納基地」が占めているのですが、この嘉手納基地は米国によるアジア戦略の重要な拠点です。


沖縄市のまちかど資料館「ヒストリート」
ヒストリートには当時のB円なども展示されています
今こそコザは「音楽の街」「アートの街」として知られるようになりましたが、当時のコザは米軍人相手に出来上がった商業と娯楽サービスで繁栄した街であり、音楽・酒・女性たちによって成り立っていました。1950年代のコザの人口の6~8割は流入人口だといわれています。いわば「よそ者が作った街」なのです。

米兵がもたらすドルやB円でコザの経済は飛躍的に発展し、那覇より垢抜けた都会といわれた時代もありました。アメリカ兵の落とすドルでなりたつ新興都市には、色んな地域から人がやってきました。つまりコザは「基地が作った街」なのです。

でも、その一方でコザの人たちは自らの意思を明確に示しました。それが「コザ暴動」です。

1970年12月20日、米軍兵士が起こした交通事故をきっかけに、日ごろ飴とムチの政策で経済をコントロールされ、また、米軍支配という軍事優先政策によって差別されてきた住民の不満が爆発したのです。

当時のコザには白人街黒人街が存在し、飲食店や風俗店もはっきりと分けられていました。アメリカの人種差別社会が沖縄にも持ち込まれたわけです。

コザ暴動はとても規模の大きなものでしたが、ケガ人・逮捕者は出たものの日米ともに亡くなった人はいません。暴動を起こしたコザの住民たちは人に対しては暴力を振るわなかったからです。また、黒人の車にも手をつけていません。

コザ暴動の2年後に沖縄は日本に復帰、また、その2年後の1974年に、コザ市は隣の美里村と合併して沖縄市になりました。以後、コザという地名は存在しません。しかし、旧コザ市に住む人たちは、愛着と誇りを持ってこの街を今も「コザ」と呼んでいます。