■沖縄のグスクとは
沖縄本島と周辺離島を合わせると、なんと420カ所もの城(グスク)があるそうです。とはいえ、これらのグスクには首里城などの大型のグスクとともに、豪族の屋敷規模という城も含まれています。
つまり、沖縄のグスクすべてが石積みの城というわけではなくて、次のように分類されています。
▽石垣を持たない小さなグスク(聖域・集落)
▽野面積みの石垣を持つ小規模のグスク
▽野面積みや切石積みの中規模のグスク
▽切石積みの比較的大規模なグスク
▽琉球統一後に作られたグスク
そのなかで、2000年12月、「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」9カ所がユネスコの世界遺産に登録されました。
中国、東南アジア、そして日本の影響を受けつつも、独自の文化的発展を遂げた琉球王国の歴史や文化が世界の遺産にふさわしいと評価されたものです。
登録された9カ所は、北部の今帰仁城跡(今帰仁村)、中部の座喜味城跡(読谷村)、勝連城跡(勝連町)、中城城跡(中城村・北中城村)、そして南部の首里城跡(那覇市)、園比屋武御嶽石門(ソノヒヤンウタキイシモン/那覇市)、玉陵(タマウドゥン/那覇市)、識名園(那覇市)、斎場御嶽(セーファウタキ/知念村)です。
沖縄のグスクには宗教的色合いが強く出ており、城内の各所、あるいは外部の聖地に拝所が祭られています。これらの拝所で宗教的行事をこなすのは女性です。
琉球統一を成し遂げた王家が中国系であることを考えると、この母系社会的な沖縄の民俗と中国の儒教文化的イメージは相容れません。
これについては、中国から渡って来た人たちが、琉球で勢力を拡大していく過程で以前から住んでいた南方系の人たちと融合し、南方系の民俗・風習・宗教を取りこんでいった結果、琉球独自の文化が生まれたという説もあります。
前述したように、奄美諸島から宮古・八重山までを含む琉球弧文化圏には、400以上もの「グスク」が存在しているのですが、その形態は実に様々で、立派な城郭を持つ大規模なグスクや、中・小規模の城郭を持つグスク、また、城郭を持たない聖域的な要素だけのグスクもあります。
特筆したいことは、石垣を有する城が本土で作られるようになったのは、琉球より200年も後ということ。13世紀~14世紀の同時期、本土の城(中世山城)は堀切と土塁や冊によるものでした。
このとき、すでに琉球は硬い石灰岩の台地上に石垣を積んで城域を囲んだグスクを作り上げています。石垣を有する城が本土で造られ出したのは16世紀後半~17世紀初めにかけてです。
石垣積みのグスクは、琉球独自の文化が造り出したと考えるよりは、中国の影響を受け、さらに東南アジアの交流の中から石文化が熟成されていったとみるべきでしょう。
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