玄関は、階段状に斜面を這う宿の4階と5階部分にあります。がたぴしと扉を開けると、古い家屋独特の少し湿った空気が支配する薄暗い居間。そこからは最上階の広間へと急な階段が伸びています。
目を凝らすと数々の色紙。「杉村春子」「CWニコル」「立松和平」……
おそらく、この宿も現状の消防法では建替えは不可能なのだと思います。こうした歴史的な木造宿は、一度朽ちたら二度と蘇らない運命の宿が多いので、一度は見ておきたいという方々が多いのもうなずけます。
ひとつ下の階の一番奥、遠く山々を望む広縁のついた「花月の間」。窓上の天袋を開けてみると、内側にはぼろぼろになりつつも昔の絵が貼ってありました。「紅葉屋九郎兵衛」、伊勢の紅葉軒の前身?の名があることから明治期の絵でしょうか。部屋の外からは、もう一階下へと階段が伸びていますが、その先は暗く、世人の立ち入りを拒むかのように闇が続いています。
電気を点けてもらい、下りていくと2階に蔵があり、「資料館」として往時の調度品を揃えています。夕食は、今でも希望があれば資料館に展示された食器を使い、当時のままの献立で伊勢の魚介を提供してくれます。
静かな夜には、歴史小説でも読んで過ごすのがお似合いかもしれません。
明け方には、周囲の森で鳴く鳥や、始発電車の音で目覚めていることでしょう。
朝六時には、廊下の時計が鐘を打ちます。
快適さを求める方には向かないかもしれません。ただ、日本の宿文化を知るうえで、貴重な体験ができるお宿です。あなたも伊勢でタイムスリップしてみませんか。
伊勢神宮(内宮)や、江戸時代の風情を再現した「おかげ横丁」も散歩圏内。蔵の街並が整備された伊勢・河崎も宇治山田駅への途中です。
■麻吉旅館
三重県伊勢市中之町 電話0596(22)4101
※予約・料金は電話で交渉。
※改築した客室(バス付)もあり。
※トイレは各部屋に。洗面所は共同。
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