三社祭は浅草寺のお祭ではありません

三社祭は、みこしを担いだ男たちが練り歩く、いかにも江戸らしい勇壮な祭です
東京の代表的なお祭と言えば、誰もが浅草の三社祭を思い浮かべます。浅草の中心となる神社仏閣は、当然浅草寺。でも、実は三社祭は、浅草寺のお祭ではありません。それじゃあ、なぜ三社祭のお神輿は、浅草寺の参道や境内を練り歩くの?

それは、三社祭りが、浅草寺の境内にある浅草神社のお祭りだからです。
でも、もともとは、浅草寺と浅草神社は別々のものではありませんでした。江戸時代までの日本の宗教は、神道と仏教が一体となった神仏習合が普通であり、お寺と神社が合体しているのは当たり前だったのです。

明治初頭の神仏分離令の際に、「神道と仏教を別のものとして認識すべし、お寺と神社は分けるべし」というおふれが出て、それまで渾然一体となっていた日本中の神社と寺が別のものになりました。今のわたしたちは、神社とお寺は違うものと思っていますが、そういう考え方が一般的になったのは、案外最近のことだったわけです。

したがって、江戸時代までなら、三社祭は浅草寺のお祭と言っても差し支えなかったのですが、今は、厳密に言えば「三社祭は浅草神社の祭である」というのが正しいのです。ちょっとめんどくさくてわかりにくいお話でしたが、理解できましたか?


観音堂に向かうおみこし。すごい迫力です


では、三社とは何でしょう

これは三社ではなく、三女では?
三社とは、三人の社という意味です。社とは、神社のおやしろのことです。では、三人とは誰のことでしょう。話は、推古天皇の御世、七世紀前半に遡ります。

そのころの浅草あたりは、まだ海に近く、湿地帯であったと言われます。ある日、漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)兄弟が、隅田川で魚を捕るための網を打っていると、一体の像が網に引っかかりました。持ち帰って、土地の知識人であった土師真中知(はじのまなかち)に見せると、「おお、これは、尊い観音像ではないか」ということになり、自宅を寺とし、その観音像を奉安し、礼拝供養に勤めました。それが、今も秘仏となっている浅草の観音様で、浅草寺の始まりです。

三社祭期間中は、浅草中がお祭一色に染まります
そして、この観音様を見つけた三人の人物が、のちに三社として祀られるようになり、それを祀ったのが三社権現(現在の浅草神社)でした。したがって、三社祭は、観音様とそれを見つけた三人の人物を讃えるお祭とも言えます。

●三社祭に関するよりディープな情報は、「浅草と三社祭りの秘密を知ろう 後編(5月14日アップ予定)」をごらんください。

■浅草神社
・所在地:東京都台東区浅草2-3-1
・交通・アクセス: JR、都営地下鉄浅草線などの浅草駅から徒歩7分
・地図:Yahoo!地図情報
・TEL: 03-3844-1575
・HP 浅草神社

次のページでは、浅草寺の境内を歩いてみます。