葬儀後も線香やロウソクを絶やしてはいけないのか
「亡くなった後、お線香(ろうそく)の灯を絶やしてはいけないと言われましたが、本当にそうしなければいけないのでしょうか?」
という内容です。また、「絶やさない」期間についても、火葬終了までだったり、四十九日までだったり、伝えられている内容はさまざまです。
そのような言われはどこから来ているのでしょうか?
まずお香と仏教との関係からお話をすると……、
葬儀後お線香を焚き続ける理由
巻線香なら長時間焚き続けることができます。 |
葬儀の際は、このような仏教的な意味に加え、お香には空気中の雑菌を抑えたり、死臭を消したりする作用がありますから、古代から物理的にも欠かせないものであったと考えられます。このような意味もあって、昔の人は「埋葬するまで香を絶やさずに」と伝えてきたのかもしれません。
では、「四十九日まで」という言われはどこから来ているのでしょうか?
亡くなると、現世から来世への死出の旅がはじまりますが、その間の唯一の食べ物がお香であるという説から来ていると考えられます(宗派によって異なります)。
しかし、現実を考えると四十九日間お線香を絶やさないというのは無理な話です。火災の心配もありますので、お線香を絶やさないことだけにとらわれるよりも、朝晩心を込めてお参りするほうが故人にとって嬉しいことなのではないでしょうか。
だからといって、地域に伝わる習慣や親戚の助言もあり、「やはりお線香はできるだけ絶やしたくない」と考える人もいるでしょう。その場合は「巻線香」というお線香を使用すると便利です。巻線香は状態にもよりますが、約10~12時間ほど持続するものが多く1日2~3巻ほどの使用で済みます。それでも火の元には十分注意が必要です。
ロウソクと宗派との関係
火は人間にとって欠かせないものです。古代より、火は大切なものとされ、仏教だけでなく他の宗教でもシンボルとなって扱われているようです。
例えば、ゾロアスター教は日本語で「拝火教」と言われるように、火を尊んでいましたし、日本の神道でも火の信仰は厚く、神棚に「かがり火」は欠かせません。
さらにキリスト教では聖書に「あなたがたが世の光である」(新約聖書・マタイによる福音書)とあり、「命」や「愛」を、周囲を照らしながら自らは燃えて小さくなっていくろうそくの炎にたとえて表現している一説があります。
仏教でも例外なくろうそくは大変意味深いものとされています。「光明とは智慧のかたちなり」とあるように、仏教で智慧とは仏様の光明のことを表します。光は心の闇を明るく照らす象徴でもあり、お香やお花と並んでお参りする際の必須アイテムとして、使用する仏具は三具足と呼ばれています。
「亡くなった後はロウソクを絶やさずに」というのは、「無事にあの世へ行くことができるための道しるべとなるように」という願いが込められていますが、昔は遺体が野生動物などに襲われることも多かったためそれを防ぐという意味もあったと言われています。
お線香と同様、ろうそくも火災の心配がありますので、24時間ならまだしも四十九日間常に絶やさず灯し続けるのは現実的ではありません。特に、細長いロウソクを炊き続けるのは危険ですので、長時間灯すのであればコップ型のロウソクを使用すると良いでしょう。使用時間が長く、安定性はありますが、火の元及び換気には十分注意が必要です。
お線香にしても、ロウソクにしても「絶やさない」ようにという言われは、地域によって、家の事情によって、お寺によって考え方が違います。周囲の意見を取り入れつつ、無理のない範囲で行っていくことが望ましいといえるでしょう。
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