お彼岸にお墓参りをする意味と期間
インドから中国、朝鮮半島を経て日本に伝わった仏教ですが、日本にだけあって外国にはない習慣がいくつかあります。そのひとつがお彼岸の行事です。お彼岸という言葉は「彼方の岸」と書かれているように、向こう岸をあらわしています。つまり、仏様が住んでいるあちらの世界のこと。インドではサンスクリット語で「パーラミータ」と呼ばれていました。
反対に迷いや煩悩にあふれたこちらの世界を此岸(しがん)といいますが、なぜ特定の時期を「お彼岸」と称して特別な法要をしたりお墓参りをするようになったのでしょうか。
お彼岸の行事をはじめて行ったのは聖徳太子だという説があります。ご存知のように聖徳太子は仏教を日本に広めた人物ですから、、お彼岸の時期を定め、それらしい行事を行ったとしても不思議でありません。
平安時代になると、お彼岸の法要は朝廷の年中行事となりました。源氏物語の「行幸」の巻には「十六日、彼岸のはじめにて、いとよき日なり」と記されていたり、「蜻蛉(かげろう)日記」にも彼岸の記述があります。
しかし、その頃のお彼岸は現在のように春分の日・秋分の日を中心として前後3日間と定められていたわけではありませんでした。
862年~1754年
……春分(秋分)の2日後が彼岸入り、その後1週間が彼岸
1755年~1843年
……彼岸の時期は不特定
1844年~
……春分(秋分)の日を中心に前後3日間が彼岸
時代によってお彼岸の時期も長さがまちまち。なぜ7日間になったのかはわかりませんが、迷いや煩悩に満ち溢れたこっちの世界「此岸」から、悟りを得たあっちの世界である「彼岸」へ到達するために心を鍛える期間として、1週間くらいが妥当だったのかもしれませんね。
仏教ではなく神道であっても先祖供養をすることが多い
お彼岸という言葉は仏教用語ですが、日本各地のお彼岸の行事を見てみると、仏教とは関係がなさそうなお祭りやお祈りが数多く存在しています。そもそも、四季がはっきりしている日本は「暑さ寒さも彼岸まで」というように、お彼岸は季節の変化を感じる時期でもあります。大昔の人には、春にはその年の豊作を願い、秋には収穫を感謝するという自然信仰がありました。自然の神々に対する信仰と仏教の教えとが結びつき、千年以上にわたって日本人の生活の中にお彼岸が定着しているのです。
ですから神道の場合も、お彼岸の過ごし方は仏教と同じ。祖霊舎(仏教でいう仏壇)をキレイにお掃除して、お墓参りをします。氏神様にお願いすれば、祝詞をあげていただくこともできます。神社でもお彼岸の中日(ちゅうにち)には神事が行われていることが多いですよ。
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【参考文献】
「暦と日本人」内田正男著 雄山閣出版