島津家が現代に残した美しい庭園、仙巌園
島津家が残した庭園、仙巌園。ここから眺める桜島は庭園の美しさをさらに引き出します(2008年9月撮影) |
仙巌園の正面入口。この奥に広大な庭園が広がります(2008年9月撮影) |
その2ヶ月後、篤姫は徳川家へのお輿入れのため、薩摩から遠く離れた江戸へ旅立ちます。江戸幕府13代将軍 徳川家定(とくがわ いえさだ)の正室となったものの、家定の病死で未亡人となった篤姫は「天璋院」となり、様々な困難を乗り越えながら最後まで徳川家のために力を尽くします。そのためお輿入れの旅を最後に薩摩の地を踏むことは二度とありませんでした。
仙巌園の御殿。抹茶・茶菓子が付いた御殿内部の見学コースも用意されています(2008年9月撮影) |
薩摩藩2代藩主の島津光久が島津家別邸として作り上げたのが仙巌園(せんがんえん、Yahoo! 地図情報)。磯庭園という別名も持ちます。
錦江湾に面した地に整備された庭園は、正面に鹿児島のシンボル桜島を見据え、錦江湾を池に見立てる借景の庭園として、代々島津家本家に引き継がれました。
開園から350年たった現在でも、美しい庭園からの桜島と錦江湾の眺めは健在。NHK大河ドラマ『篤姫』のロケでも使われました。御殿や望郷楼、千尋巌(せんじんがん)など見所も多く、のんびりと時間をかけて楽しめる所ですね。
薩摩名物、両棒餅を食す!
薩摩名物 両棒餅(ぢゃんぼもち)。仙巌園の中にある両棒屋で味わえます(2008年9月撮影) |
両棒餅は、お餅に串を2本指してきつね色に焼いたもの。武士が腰に2本の刀を差しているのを「両棒差し」というのになぞらえて、名付けられたものとか。
味噌またはしょうゆを使ったたれが、懐かしい感じの甘さを醸し出します。仙巌園を散策した後でちょっと休憩するにはぴったりですよ。
両棒屋の他にも、仙巌園の近所に両棒餅を作っているお店がたくさんありますので、食べ比べしてみるのも楽しいですね。
薩摩藩が架けた美しい石橋が今も残る
石橋記念公園に移設された西田橋。美しいアーチ橋に桜島の雄姿が映えます(2008年9月撮影) |
この石橋は江戸時代から平成に至る150年もの間、現役の橋として人々の暮らしを支え続けてきましたが、1993年の豪雨水害で2つの橋が流失してしまいました。
水害復旧を機に残った3つの橋を歴史的財産として保存することが決まり、新たに作られた石橋記念公園(Yahoo! 地図情報)へ3つの橋を移設しています。
どの橋も美しいアーチを持つ橋で、このうち高麗橋はNHK大河ドラマ『篤姫』のロケにも使われたとのこと。仙巌園からも近いので『篤姫』のロケ地めぐりとして楽しむのも良いですね。
西郷隆盛と対峙する小松帯刀の銅像
鹿児島の西郷隆盛の銅像。東京・上野の銅像とは違い凛々しく見えます(2008年9月撮影) |
西郷隆盛の銅像と言えば、犬を連れている東京・上野公園の銅像を思い出す方もたくさんいらっしゃると思いますが、遙か桜島の方向を見つめる鹿児島の銅像は、威厳があり凛々しく見えますね。
いつも多くの人で賑わう鹿児島一の繁華街、天文館からもほど近く、国道10号線をはさんだ反対側には記念撮影スポットも用意されていますので、鹿児島を訪れた際はぜひ立ち寄ってみると良いでしょう。
小松帯刀の銅像。西郷隆盛と対峙する位置にあります(2008年9月撮影) |
この銅像は小松帯刀(こまつ たてわき)の銅像。NHK大河ドラマ『篤姫』の中では、篤姫の幼なじみ、肝付小五郎として登場し、その後薩摩藩家老に登りつめ、江戸幕府15代将軍 徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)に大政奉還を勧告するなど、明治維新の大きな原動力となった人物です。
小松帯刀の銅像が見ている方向は、西郷隆盛の銅像ではなく、その斜め後ろに位置する照国神社なのだとか。照国神社が奉る神様は、篤姫の養父であり、薩摩藩に様々な近代化改革をもたらした島津斉彬。銅像となってなお主君に仕えるように思えますね。
ここまで今和泉と鹿児島市内にある篤姫ゆかりの名所と旧跡をご紹介してきました。
最後に取材協力を頂いた鹿児島東急ホテルのご紹介と、今回取り上げた名所・旧跡へのアプローチ方法を次ページにまとめておきます。
最後に取材協力を頂いた鹿児島東急ホテルのご紹介と、今回取り上げた名所・旧跡へのアプローチ方法を次ページにまとめておきます。