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1800年の歴史を誇るまち「住吉」を歩く(3ページ目)

ターミナルシティの梅田やネオンサイン輝く道頓堀、ディープ下町な新世界など、大阪には多種多様な「まち」がありますが、今回は大阪きっての歴史を誇る「住吉」をご紹介!たまにはこんな大阪散策もいかが?

執筆者:陸奥 賢

5、宝泉寺 十三仏

石仏の十三仏です。巨大な石仏が十三体も並んでいると、かなり圧巻です。
一運寺から西に向かうと、歴史街道の熊野街道に出ますが、その街道沿いにあるのが宝泉寺。天元5年(982)に「往生要集」で有名な源信上人によって開基された融通念仏宗の寺院です。

石仏の十三仏は元亀年間(1570-73)に、旧住吉村字石本(神ノ木駅付近)にあった巨石をもとに刻んだもので、釈迦如来以外の十二仏は「干支のお守り本尊」として信仰されています。薬師如来、弥勒菩薩、地蔵菩薩の3体は他の石仏に比べて小さく、「石工が計算違いをした?」という説もあるとか。

こちらは「幽霊の片袖」伝説の発祥の地としても知られています。元和3年(1617)に、箱根山を歩いていた巡礼者の前に、住吉大社の禰宜・山上松太夫の妻の幽霊が現れて、宝泉寺の道和上人に回向を頼みました。その証拠に「幽霊の片袖」を手渡したのですが、山上松太夫は宝泉寺の檀家で、道和上人は融通念仏宗総本山・大念仏寺の法主となっていたので、現在は大念仏寺の宝物殿に幽霊の片袖と香合が残っています。この片袖を正式に鑑定したところ、間違いなく、江戸時代初期の片袖という結果も出ているとか。

6、熊野街道石碑

熊野街道石碑です。京都から熊野三山への巡礼街道ですが途中で住吉を通過します。天皇や貴族は聖地・住吉大社に参拝する慣わしで、源氏物語でも「澪標」の舞台として登場します。
宝泉寺を熊野街道沿いに南下していくと、真新しい石碑が見えてきます。これが熊野街道の石碑。熊野街道は、京の都から熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)までの約300キロにも及ぶ参詣道で、その一部はユネスコの世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されています。

熊野三山は、平安時代中期から阿弥陀信仰の聖地として信仰を集めるようになり、907年に宇多上皇が参詣すると、皇族、女院の参詣(熊野御幸)が相次ぎました。とくに鳥羽上皇は21回、後鳥羽上皇は28回、後白河上皇に至っては32回も熊野に参詣しています。室町時代以降は皇族・貴族に代わって武士や庶民の参詣が盛んになり「蟻の熊野詣」と言われるほどの賑わいの街道となりました。
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