p0

日本最初の官道と伝わる「竹内街道」。大阪府太子町に残る旧街道を歩くと、多くの旅人でにぎわった当時の面影が垣間見られる


日本最古の官道、現在の国道にあたるのが、大阪と奈良を結ぶ「竹内街道(たけのうちかいどう)」です。

竹内街道は『日本書紀』の推古天皇21年(613年)に「難波より京に至る大道を置く」と記されています。2013年はその記録からちょうど1400年目となり、大阪府や奈良県でさまざまな関連イベントも行われました。今回は、この竹内街道について、街道沿いにある見どころなどをご紹介します。

竹内街道は「シルクロードの終着点」

竹内街道とその周辺の地図(大阪府/竹内街道・横大路(大道)1400年活性化プロジェクト ホームページより抜粋)

竹内街道とその周辺の地図(大阪府/竹内街道・横大路(大道)1400年活性化プロジェクト ホームページより抜粋)

竹内街道は、大阪府堺市の大小路から河内平野を東に向かい、二上山の南にある竹内峠を越え、奈良県葛城市の長尾神社に至る約26kmの街道です。

上記の通り、日本書紀に記録が残っており、竹内街道は日本最古の国道ともいえる大道(おおじ)のルートと大部分が重なっています。現在の堺市のほか、松原市、羽曳野市、太子町を通っています。

飛鳥時代、中国や朝鮮半島のすぐれた大陸文化が、竹内街道を通って京、当時の飛鳥の都にもたらされたことにより、飛鳥文化が開花したと伝わります。渡来人をはじめ、遣隋使や遣唐使たちも竹内街道を利用し、まさに“シルクロードの終着点”としてにぎわっていたのでしょう。『万葉集』にも「大坂を 我が越え来れば 二上に もみぢ葉流る しぐれ降りつつ」「飛鳥川 もみぢ葉流る 葛城の 山の木の葉は 今し散るらし」などの歌が残っています。

p2

竹内街道歴史資料館に展示されている本物の「駕籠」。当時はこのような駕籠が行き来していました

都が710年、平城京に移ると、竹内街道は外交路としての機能を次第に失っていきました。一方で、街道沿いにある聖徳太子の墓や叡福寺などをめぐる「太子信仰」がさかんとなり、中世末期に自治都市の堺が栄えると、堺と大和を結んで物資を運ぶ経済ルートとして再び脚光を浴びました。

江戸時代には今も残る道しるべが街道沿いに建てられ、あの松尾芭蕉も『笈の小文』の紀行で訪れるなど、街道沿いには“ぐみ茶”を出す茶店や旅籠が軒を連ねました。

現在、竹内街道は国道166号線となって整備され、街道の姿も一新しました。旧道沿いにわずかに残る道しるべや伊勢灯籠などが当時の面影を残しています。

なお「大道」は、竹内街道とともに、奈良県葛城市から飛鳥までの横大路を合わせたものをさします。