信州・風林火山 ゆかりの地巡り
雪の高島城の風景 |
◎ 由布姫を偲ぶコース
天文11年(1542)、 信州攻略は、姻戚関係にあった名家諏訪家の当主諏訪頼重を殺す事から始まった。息女「由布姫(井上靖が命名)」が、晴信(信玄)の側室になり、一子「勝頼」をもうけるが、 岡谷市・小坂観音院で25歳の若さで息をひきとる。
【コース・時間】:JR)上諏訪駅-(車5分)→高島城-(車10分)→信濃国一宮諏訪大社上社本宮-(徒歩1分)→諏訪市博物館-(車10分)→小坂観音院-(車15分)→諏訪大社下社秋宮-(車10分)→諏訪市博物館・赤彦記念館-(車20分)→JR)下諏訪駅
◎ 勘助 諏訪への旅を偲ぶコース
信州攻略への道は、「棒道」と呼ばれている真っ直ぐな軍用道路を作り使った。風林火山館は、武田家の居城を再現。ドラマの撮影に利用。
【コース・時間】:JR)小淵沢駅-(車15分)→北杜市・風林火山館-(車10分)→棒道-(車10分)→御射山社-(車15分)→茅野市神長官守矢資料館-(車5分)→諏訪大社上社本宮-(10分)→高島城-(車5分)→JR)上諏訪駅
◎ 信玄隠しの湯コース
風林火山ゆかりの地を訪れつつ、信玄隠しといわれる温泉を満喫。
【コース・時間】:JR)茅野市駅-(車5分)→板垣信方の屋敷があった板垣平-(車5分)→諏訪頼重の居城:上原城趾-(車5分)→八ヶ岳総合博物館-(車5分)→お茶清水-(車5分)→御座岩-(車5分)→蓼科・横谷峡・奥蓼科温泉郷-(車5分)→JR)茅野市駅
●激戦の地・上田原合戦場を巡る(上田市)
天文17年(1548)、 信玄の信州攻略に立ち塞がったのが、北信の豪族「村上義清」。上田原合戦場で勝利。板垣信方や甘利虎泰など武田方の名将を討ち取り、更に砥石城の合戦で砥石崩れと呼ばれる程の大打撃を与え退けた。
◎ 上田原古戦場を辿るコース
【コース・時間】:上田電鉄別所線上田原駅-(徒歩16分)→上田原古戦場-(徒歩1分)→無名戦士の碑-(徒歩10分)→雨宮刑部の墓-(徒歩12分)→板垣信方の墓-(徒32分)→上田電鉄線上田原駅
●勇将!村上義清の面影を辿る(坂城町)
しかし、義清は、信玄が得意する調略に依り、家臣に内応者が出始めると、形勢は逆転。ついには葛城城自落(1440年)。越後の上杉謙信を頼り、失地回復・再興を期した事が、数次にわたる川中島合戦の火種となった。
◎義清の歴史探訪コース
【コース・時間】:しなの鉄道坂城駅-(徒歩10分)→村上義清供養塔-(徒歩10分)→北国街道坂城宿ふるさと歴史館-(徒歩10分)→村上義清の居館跡・満泉寺-(徒歩70分)→村上義清の居城・葛城城趾跡-(徒歩車5分)→しなの鉄道坂城駅-(電車1駅)→しなの鉄道戸倉駅-(千曲市循環バス7分、上山田文化会館下車徒歩25分)→千曲市上山田の市城山史跡公園・荒砥城跡(ロケ地として使われた)
●いざ決戦の地 長野市 川中島合戦の地へ
戦国時代最強の軍団を持つ甲斐の虎・武田信玄、越後の龍・上杉謙信の両雄が対決・激突した場所が、千曲川と犀川に挟まれた善光寺平の要所「川中島」。
五度あったと伝えられている川中島の対陣の中でも、 特に永禄4年(1561)の第四次川中島合戦は激戦として知られている。
八幡原史跡公園には謙信と信玄との一騎打ちの像が、周囲には討ち死にした 信玄の実弟信繁の菩提や山本勘助の墓がある。
◎ 信玄から見た川中島合戦コース
【コース・時間】:長野電鉄松代駅-(徒歩5分)→旧海津城:松代城-(徒歩50分)→典厩寺-(徒歩20分)→八幡原史跡公園:川中島古戦1場-(徒歩20分)→山本勘助の墓-(徒歩5分)→長野電鉄松代駅
◎ 謙信から見た川中島合戦コース
【コース・時間】:長野電鉄岩野駅-(徒歩30分)→妻女山-(徒歩23分)→鞍掛の松-(徒歩5分)→千曲川・雨宮の渡し-(徒歩5分)→長野電鉄雨宮駅
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「風林火山 特別企画展・イベント特選情報」を紹介 >>
・制作:07/01/07・更新:07/01/12