
現役世代同様、高齢者も貧富の差が激しくなっている。資産を作った者と年金だけで生活している者との間には、見えない壁があるようだ。
穏やかな暮らしが一変
結婚して実家近くのマンションを購入したミスズさん(42歳)。共働きだったため、子どもたちを育てる上で、たびたび両親の世話になってきた。子どもたちは13歳と10歳になったが、今も夫婦とも残業のときなど、子どもたちは実家で食事をさせてもらうこともある。
「母はスポーツジムに通ったり趣味の陶芸に熱中したりしていました。父も定年後は学生時代の友人と旅行したりと、二人とも楽しそうに暮らしていた。夫も父とはよく一緒に飲みに行ったりしていましたね」
そんな穏やかな暮らしが一変したのは5年前。父が急に倒れ、10日も意識が戻らないまま亡くなってしまったのだ。母はそれまでの明るさを一気に失った。毎日、父の仏壇の前でぼうっと過ごすようになった。
少しずつ元気を取り戻した母
「仲のいい夫婦だったから。母がかわいそうでたまらなかったけど、私にも家庭があるし、そうそう母の面倒も見ていられない。子どもたちがしょっちゅう母のところに行っていたけど食欲もないみたいで」
それでも家族で母を支え続けた。週末はドライブをしたり連休には近場の温泉地へ行ったり。少しずつ、ほんの少しずつ、母は元気を取り戻していった。父が亡くなって丸3年がたったころ、ようやく一人で外出するようになり、「お父さんの分まで楽しむことにした」と宣言した。
「僕らでできることがあれば何でも言ってと夫も励ましていました。母は近所の人に誘われるままに老人会に入って、楽しそうに活動するようになった。地元のサークルで書道を始めたりヨガを習ったり」
母本来の明るさも取り戻しつつあった。
お金を無心するようになって
ところが母の明るさは勝ち気さにもつながっており、さらには「見栄」にもつながっていた。当時、ミスズさんは母の経済状況をまったく知らなかった。
「あるとき母に『悪いけどお金貸してもらえない?』と言われたんです。何に使うのと聞いたら『洋服がほしい』と。あちこち出掛けるようになったけど、いつも同じものを着ているのは私だけだからって情けない声で言うから、3万円ほど貸したんですよ」
ところがまた1カ月後に洋服がほしい、今度はアクセサリーもほしいと無心が続く。夫に話して、母の経済状況を確認することにした。
「父が亡くなってから遺族年金と母自身の国民年金だけだから、確かにそれほどもらってはいませんが、でも女一人で暮らすには十分なはず。持ち家だから家賃が発生するわけでもないし。貯金はと聞いたら100万くらいだって。一人っ子の私が独立してから20年近くたっているのに、どうしてそれしかないのと驚きました。母が言うには、父の退職金の半分は家のローンの返済に回したし、あとはみんなお父さんが使ったと」
だがミスズさんの記憶によれば、父は浪費家ではなかった。定年後は時々友人たちと釣りに出掛けたりもしていたが、決して無駄遣いをしたりぜいたくを好んだりするタイプではなかった。
「それなのにどうしてこれほど預金がないのか。年金だけで生活できないのか。母に問いただしてみたんです。そうしたら、なんとも見栄っ張りな生活が見えてきた。母はサークル活動のときなどに、いつも差し入れを持っていくらしい。それもそのへんで買ったものではなく、わざわざ銀座などに出掛けて高級和菓子などを買ってくる。いい生活をしていると思われたかったんでしょうか。だから、同じ服を着ていけないということになったんでしょう」
なぜ母は見栄を張るのか
長年、その土地に住んでいて、今さらなぜそんな見栄を張るのかとミスズさんには疑問だった。だが、母は、実際にはそれまであまり近所づきあいをしてこなかったようだ。
「近所づきあいって面倒じゃない? だけど高齢の一人暮らしになったら、近所の人に声をかけてもらうのはありがたいと思うようになったって。だからもっと大事にされたい、もっと気にかけてほしいという気持ちの表れで、高級お菓子の差し入れにつながっているみたいですね」
何かをあげたから仲よくなれるわけではない、もっと人と人との根本的な関係を考えないとダメだよと言ってみたが、「今さらどうすればいいのよ」と母は涙目になった。
「人の関心を惹きつけることと、誰かと信頼関係を作ることとは違うでしょと言いながら、私はどうして70代のいい大人にこんな講釈をしているんだろうと情けなくなりました。母はずっと父の庇護のもとで暮らしてきて、自分からは何もしなかった。だからあの年齢で、自分がどう振る舞ったらいいか分からないんでしょうね」
今後のことも考えて、年金から預金をするよう提案、食費や交際費もミスズさんと夫とで決めた。一人で暮らすことと“自立”とは違うことだと改めて感じたという。







