
「令和8年版高齢社会白書」が内閣府より発表された。その中に「国際比較調査に見る日本の高齢者の生活と意識の特徴」という特集がある。
それによると、日本の高齢者の79.2%が現在の生活に「満足している」「まあ、満足している」というのだが、同時に調査されたアメリカ、ドイツ、スウェーデンにおいての満足度は、それぞれ93.6%、88.5%、96.6%であり、それに比べると日本は低い。さらに、「満足している」だけを取り出してみると、日本は21.6%、アメリカ63.1%、ドイツ47.0%、スウェーデン57.7%で、日本はかなり低い。
さらに日本では、約4割が収入をともなう仕事をしたいと考えており、したくないと考えている人は5割弱。だが、他の3国では仕事をしたい人は約2割、仕事をしたくないと考えている人が8割前後となっている。日本の高齢者が仕事を続けたい理由は、主に収入を得たいからである。これほど税金が高くなっているのに、老後の生活が確保できない焦燥感があふれていると考えられないだろうか。
70代、こんなはずじゃなかったけれど
70代、これまでの貯蓄や投資が功を奏したり、それなりに年金をもらっていたりして、そこそこ余裕がある生活を送っている人も多いかもしれない。だが一方で、貯蓄はほとんどなく生活に追われる人たちも少なからずいる。
「最寄り駅から始発に乗って仕事に行きます。午前中は清掃、午後は倉庫の荷出しのアルバイトをして生計を立てています」
そう言うのはアユミさん(72歳)だ。40代で夫に先立たれ、一人息子を必死で育ててきた。その息子も結婚して家を離れ、今は転勤先の関西で暮らしている。アユミさんが暮らす関東地方に戻ってくる予定はほぼないという。
「今暮らしている団地も、かなり老朽化しています。年金は5万円くらい。家賃に消えます。生活はアルバイトの収入でなんとか。生活保護も考えたけど、働ける間は頑張ってみようかなと思っています」
幸い、大きな持病もないので、歯科以外はほとんど行かないですんでいる。ただ、家電が壊れたときは一大事だと笑った。
生きていくこと自体が目標だなんて
「今は目標がないのが虚しいですね。生きていくこと自体が目標だなんて、わびしい人生じゃないですか。日々、食べて寝て起きて、仕事に行って……。それだけですよ。楽しいことなんて何もない。団地の中では、時々一人で死んでいく高齢者のことが話題になります。だからといって高齢者同士が集うこともほとんどない。以前、ある人が音頭をとって、みんなでお茶会をしたことがあるんですが、あまり盛り上がらなかったですね。いつしかやらなくなってしまった。みんな諦めながら暮らしているんじゃないかと思います」
もちろん、いつまで生きるか分からないのだから、もっと希望をもって元気に生きていかなければと思うことはある。だが、何をするにも先立つものが必要だ。ムダにお金を使いたくないという気持ちが、新たなことを始めるブレーキになってしまう。
地域の集まりで書道を始めて
それでもアユミさんは、一歩でも前に進みたいという気持ちを持ち続けていた。
「たまたま近所の知人が『書道を始めたんだけどどう?』と誘ってくれたんです」
それが1年前のこと。子どものころ書道を習っていたのを思い出した。知人が、昔子どもが使っていた道具があまっているけどよかったらと譲ってくれた。筆もつけてくれた。
「週に1回、近所の公的施設で習うようになりました。精神的に効果がありましたね。集中力がついた。しかも先生がとてもいい人で、自分が書きたいものを書いたら見てくれるんです。私はかな文字をやりたかったので、先生に相談してお手本をもらいました。以来、かな文字に夢中になっています」
図書館に行って、かな文字関係の本を読み、勉強するようになった。家でも墨汁を薄めてコスパを上げながら、新聞紙を使って練習している。
「いい道具がほしいと思ったこともありますが、習っているうちに道具なんてどうでもいいと思うようになりました。ただ、うまくなりたい。思いを込めて字を書くとき、なんだか心がきれいになるような気がするんですよね。こういう充実感は初めてです」
息子夫婦からの贈りものに
今年のお正月に息子一家に会ったとき、そんな話をついしてしまった。数日後、息子夫婦から大量の半紙と、かな文字が書けるいい筆が数本届いた。自分から連絡などしたことのなかったアユミさんだが、あまりのうれしさに息子の妻に連絡した。
「結婚したらもう別家族ですから、私が出しゃばってはいけないと思っていたんです。でも息子の妻が、『お義母さんのすてきな文字を見て感動しました』と言ってくれた。お世辞でもうれしいですよ。私の趣味にお金を使わせて悪いと思いましたが、『お義母さんが楽しそうに書道の話をするから、私もやってみようかと思って』って。それもお世辞だろうと思っていたら、彼女、本当に習い始めたんです。同じように地域の書道教室に通って」
そのときアユミさんは気づいた。自分は「お金のない高齢者だから、希望も持てず、人生を半分捨てたようなつもりになっていた。だが、家族がいても希望があっても、人は孤独感を覚えるもの。自分が特別、不幸なわけではない」と。
「今ではLINEで、息子の妻と書道談義をかわす仲になりました。何かを始めると自分が変わるのかもしれません」
不平不満が爆発せざるを得ないような世の中ではあるが、文句を言っても始まらない。自分は自分として「人生を充実させるしかない」とアユミさんは笑顔を見せた。
<参考>
・「高齢社会白書」(内閣府)







