そば処「おお西」のご主人
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研鑽の過程は、自著「そば打ちの美学」に詳しいが、江戸前の手打ちの技(わざ)を磨きし、生粉(きこ)打ちで、しかも難しいと言われている長い更科そばを作ることに成功し、更科そばの発祥地である信州が、地元では評価されていない事から、世田谷の店を畳んで、信州上田市に店を構えた。
看板の品は、江戸伝来の「変わりそば」と全国唯一の逸品そば粉100%の「更科そば」!それに最近店主考案の「発芽そば切り」が加わった。昭和15年生まれというからもう還暦を過ぎているのに、その探求心は留まるところを知らない。
上田市柳町「手打百藝 おお西」店舗風景
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店内の土間の水路には岩魚や鯉が泳でいる。 |
場所は、北国街道上田宿柳町
上田は、戦国時代真田幸村の父昌幸が築いた上田城を中心とした城下町である。関ヶ原の戦で徳川秀忠が率いる軍団が真田幸村親子に阻まれ、戦に遅参した話は有名だが、江戸時代は北国街道の宿場としても栄えたところでもある。今でも市内の柳町界隈は、当時の繁栄ぶりが伺える蔵造りの家並みが連なり、昔の面影が色濃く残る佇まい風景は、訪れる旅人を魅了する。 現在の「手打百藝 おお西」の店舗は、そんな町角にある名水「保名水」の隣にある。
店舗は生糸問屋を改築
これも店主の自著「そば打ちの美学」に出てくる話だが、現在の店舗は、江戸時代から続く名家であり、豪壮な建築は、明治時代に建て替えられた建物である。上田に引っ越し手狭になったのを機に、店主のおお西さんが惚れ込み、借り受け改築した。店舗は、ほぼ昔の姿に復活させた白壁と格子窓のある二階建て。 入口の格子戸を開け、中に入ると、右手に広いそば打ち場、手前にテーブル席の並ぶ土間には、隣の保命水から引き込まれたという川が流れ、岩魚が泳ぐ。奥は座敷になっている。
開店草々だったのも拘わらず、電話しておいたので座敷にもう席が用意してあった。
《生粉(きこ)打ち》:十割そばとも言われるそば粉100%で打つそばの用語。そば粉はそれだけだとつながり難いので、普通は二八そばというように小麦粉を使う。特に一番粉(そばの中心部)を使う更科そばは、特に生粉打ちは難しいく、長くて細切りにするのはなお難しいという。
・制作:04/06/20