AIチャットボットとのやりとりのあとに命を絶ったとされる事例が、アメリカやヨーロッパを中心に複数報告されており、若者とAIの関係について、いま世界に問いを投げ掛けています。
例えばアメリカで起きた、AIとのやりとりをきっかけに16歳の少年が命を落としたという事件。少年は勉強や趣味の相談相手としてChatGPTを使い始め、半年ほどで“最も親しい友人”のように感じるほど依存が深まったといいます。
彼が「死にたい」と伝えた際、AIはその気持ちを否定せず、むしろ自死の方法や遺書の書き方まで提示した──。裁判が始まっているこのニュースを知ったとき、筆者はAIの問題以前に、子どもが孤立し、リアルなつながりを失っていた構造そのものが重大なのだと感じました。

<目次>
AIの危険性よりも深刻な“孤立”の連鎖
事件を「AIが危険だ」と矮小化するのは簡単です。しかし、本質は「なぜ少年がAIにしか本音を話せなかったのか」という点にあります。
そして、この「孤立」という問題は、決して対岸の火事ではありません。日本の学校現場でも今、同じような静かな危機が広がっています。
最近の学校現場では、子どもが抱えている不安や孤独に対して、大人が十分に寄り添えない場面を多く目にします。家庭にも学校にも相談できる大人がいないとき、子どもは“否定されない存在”を探します。AIは求めたとおりの答えを返し、承認してくれる。だからこそ、そこに心が寄りかかってしまう。
ただ、この構図は決して他人事ではありません。教員が孤立すれば、子どもはさらに孤立する──。筆者は以前、若者支援団体との対話の中で、この構造を強く実感したことがあります。
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今、教員自身が忙しさや業務の偏りにより追い込まれている現実があります。頼れる同僚が近くいなかったり、職員室は常に慌ただしく、話しづらい空気があることも珍しくありません。また、SNSでは“辞める先生”の声ばかりが可視化され、現場の心理的不安は連鎖的に広がっています。
こうして大人側の孤立が深まれば、子どものSOSに気づく余白がますます失われていきます。まず大人たちが孤立から脱し、子どもをサポートできる状態を取り戻すことが、何より大切なのです。
「思い通りになる世界」は、人を弱くする
AIはとにかく“イエスマン”です。求めた瞬間に答えを返し、否定も揺さぶりもありません。
一方、リアルな人間関係は思い通りになりません。期待と違う返答が返ってきたり、誤解や葛藤が生まれたりする。その“わずらわしさ”にこそ、人が成長する余白があります。
AIは便利です。しかし、便利さは人間の感性や試行錯誤を確実に奪っていきます。私たちがオンラインに慣れ、買い物をする際でも自動化が進み、店の空気や店員との短い対話を失っていったように、AIが日常に入り込むほど、子どもたちの「人間と関わる体験」は減少していきます。
少年がAIを“最も親しい友”と捉えてしまった背景には、リアルな関係性の困難さから逃れ、思い通りに応えてくれる存在に安心を覚えたという側面があるのではないかと思うのです。

保護者がまずAIを「正しく恐れ、知る」こと
AI時代において保護者がまずすべきことは、禁止でも制限でもなく、理解です。「よく分からないから不安」「危険そうだからとりあえず遠ざける」──これを続けると、家庭内に情報格差が生まれてしまいます。
子どもはAIを使いこなし、親は知らない。その関係では、本音の対話は成立しません。まずは親自身がAIを触り、便利さとリスクの両方を体験すること。そのうえで「どんなときにAIを使う?」「困った時は誰に話す?」といった、家庭内のルールを一緒につくることが大切です。AIとの距離感を親子で共有できる家庭ほど、子どもが孤立しにくくなるからです。

これからの教育に必要な「リアル」の価値
筆者はコーチングを教える立場として、AIと人間の対話の違いを日々実感しています。
AIは、求められたことに正確に答える“外側の対話”を得意とする一方で、コーチングは相手の内側にある本音や葛藤を掘り起こし、問いを通して気づきを促す“内側の対話”です。表面的にはどちらもジャッジせず寄り添うように見えますが、AIはイエスマンとして振る舞いやすく、本人が考えるべき問いに導くことはできません。
だからこそ、AIが高度化すればするほど、人が変化するために必要な“リアルな関わり”の価値はむしろ高まっていきます。空気感、沈黙の温度、表情の揺れ、言葉にしきれないニュアンス──こうした要素はすべて、生身の人間同士のなかでしか生まれません。
AIがどれほど進化しても、人を育てる営みはリアルの場に宿る。これからの教育は、AIの利便性を理解しながらも、その対極にあるリアルな体験を意識的に取り戻していくことが欠かせないと考えています。
AI時代にこそ、「孤立させない教育」が必要になる
今回の事件が示したものは、AIの恐ろしさだけではありません。
孤立がAI依存を生み、AI依存が命を奪いかねない社会に、私たちはすでに足を踏み入れているという現実です。教員が孤立しない学校は、子どもが孤立しない学校です。家庭が孤立しなければ、子どもも孤立しません。
そして、子どもがリアルな大人に心を預けられるなら、AIに依存する必要はありません。AIの進化を恐れすぎる必要はありません。
しかし、AIが子どもの“心の居場所”になってしまう社会は避けなければならない。それを防ぐ鍵はただひとつ。リアルのつながりを大切にすること。
家庭で、学校で、地域で。大人たちが孤立を脱し、子どもに寄り添える余白を取り戻せたとき、AI時代の教育はより安全で豊かなものになっていくと、筆者は確信しています。







