朝から深夜まで家事に追われて
「ずっと共働きでいこうと話し合っていたので、結婚当初は家事もほぼ半々でやっていたんです」そう言うのはダイキさん(39歳)だ。目の下のクマが少し痛々しい。同い年の女性と結婚したのは7年前、現在は4歳になる娘がいる。
「妻が変わったのは結婚して半年ほどたったころ。その日は妻が早く帰って食事を作ると言っていたんです。でも帰ってみたら、真っ暗な部屋で妻が座り込んで泣いていた。どうしたのかと聞くと『何もかも嫌になった。家事もやりたくない』と。家事なんてやりたくなければやらなくていいよ、無理しちゃいけないと言いました。そうしたら妻が家事を完全放棄するようになったんです。ずっと放棄していいというつもりではなかったんですが……」
ダイキさんは部屋がきれいでないといられないタイプ。妻は、乱雑な部屋でも気にならない。そうなれば必然的にダイキさんが掃除をするしかなくなる。洗濯物を入れるかごがいっぱいになっても妻は知らん顔をしているから、夜中になると洗濯機を回すようになった。
結婚生活に危機感を持つように
「妻は朝食もとらずに出社していきますが、それじゃいい仕事はできないと僕が早起きして朝食を作り、弁当をもたせることにしました。ついでに夕飯の下ごしらえもしてから僕は出社する。休日になると妻は自室から出てこないので、食事を作っては声をかける。妻はもともと実家住まいだったから、結婚して環境が変わったこともあり、生活に疲れたんだろうと思ってそういう配慮をしたんです」ところがその後、半年たっても妻は家事をしようとしない。ダイキさんが残業して疲れて帰宅してもキッチンには何もない。妻は自室にこもっている。結婚生活がおかしな方向に進んでいると、彼は危機感を持った。
「二人で生活していくんだから、きっちり半分とは言わないまでも、やはり家事は分担しようよと。そのときは彼女も分かったというんですが、結局、ほとんど僕がやるはめになる。彼女は汚い部屋でも平気だけど、僕は耐えられない。耐えられない方がやるしかないんですよね」
実家住まいだった彼女は、自室の掃除も親任せだったようだ。
子どもが生まれて
その後、妻は妊娠。ダイキさんは家事はもちろん、妻の体調にも気を配った。精神的に不安定な時期もあったため、妻もダイキさんを頼り「あなたがいてよかった。ありがとう」とも言われた。このぶんなら夫婦関係もうまくいくと思っていたが、娘が生まれてからは、妻はほとんど「女王様」と化した。「僕が娘にメロメロなのをいいことに、『悪いけどアイロンかけてくれる? かけてくれたら娘ちゃん抱っこしていいから』というように娘を交換条件に出す。1年後、妻が職場復帰してからは、さらに拍車がかかりました」
娘を保育園に送っていきたいダイキさんと、自分が送っていく間に夫に家事をやってほしい妻との間で、さまざまな軋轢(あつれき)が勃発した。はたからは「平和な家庭の冗談交じりの諍い」とも思えるのだが、ことはだんだん深刻さを増していったという。
「妻が娘のために作る料理が僕には耐えられなくて、夕食はほぼ僕が作るようになりました。ちょうどコロナ禍でリモートになったため、それはありがたかった。娘はすっかり僕の味つけになじんでくれました。妻は家事では僕に対抗できないと思ったのか、娘が欲しがるものを何でも買うようになった。家庭の教育やしつけが夫婦バラバラで、娘のためによくないと真剣に悩みました」
いっそ父子家庭のほうが……
食事はできる限り自分が作る。だからせめて洗濯や風呂トイレの掃除くらいはしてくれないかと妻に頼んだ。互いに仕事をしているのだから家事は分担しないと家庭が回らない、と。娘に何でも買うのはよくない。それも話し合っていこう。ひと1人育てていくために、もっと2人で協力しないといけないと思う。「そう言ったら妻は、『自分だけポイント稼ぎして、娘の歓心を買おうとしてるくせに』と。いや、娘にはおいしいものをたくさん食べて元気に育ってほしいだけだよと言っても、私を子育てから排除しようとしてると妻は訴える。そうじゃないよ、二人で娘を育ててるんだよと言っても『どうせ私は家事ができないわよ』と拗ねるばかり」
妻の理想は、家事も育児も全て夫に押しつけて、娘の愛情だけを自分のものにすることらしい。そうとしか思えないとダイキさんは悩んだ。
「結局、妻の母親が手伝いに来てくれ、ようやく二人とも少し精神的に余裕が生まれて話し合うことができるようになったのが2年前。家事は相変わらず僕がほとんどやっていますが、義母が週に2回は手伝ってくれるのでラクになりました。本当は義母に迷惑をかけずに夫婦だけでうまくやっていきたいんですが、それはまだまだ……。夫婦の関係って難しい。いっそ父子家庭の方がいいかもと思ったことさえあります」
家庭内は盤石だと言い切れる人などいないのかもしれない。互いに補完し合うためには、まず自分の足らざるところを受け入れなければならないが、そうしたくない人もいるだろう。まさに夫婦は合わせ鏡のようなものなのではないだろうか。