腹立たしさしかない
「私は昔から、母との折り合いが悪かったんです。兄はかわいがられていたけど、私はいつも『あんたはかわいくない』と言われて育った。父からは愛情をかけられているのが分かったから、なんとか曲がらずに生きることができたという状況でした」マユさん(40歳)はそう言う。大学進学を考えていた時も母は「あんたが大学に行くお金なんかない」と言い張った。それでも受験して合格した時、父が「マユは大学に行かせる。おまえは何も言うな」と母を一喝してくれた。
「母は、私が美形じゃなかったから気に入らなかったみたい。彼女は、生まれ育った町で評判になったほどの美少女だったらしいんです。若いころはモテたんでしょうね。父もハンサムな人だから、『私とお父さんの子は絶対、きれいな子になる』と確信して結婚した。兄も男子校に進んだ時、他の女子校からみんなが見に来るほどのイケメンだった。でも私は誰に似たのか不細工で……」
そうは言うが、マユさん、かなりの美形である。昔、一家で撮った写真を見せてくれたのだが、4人とも美形といって差し支えないはず。ところが母から見ると、マユさんだけが「不細工」になるのだという。外形のことを云々するのはまったく意味がないし、ましてや親が子を「不細工」と表現すること自体がすでに誤りだと思うが、マユさんはそんな価値観の中で育ってしまったのだ。
幸せな家庭を築いたものの
「私が結婚したのは33歳の時。34歳で娘を出産、36歳で息子を出産しました。産休と育休を駆使しながら仕事も続けてきた。夫はしっかり私と向き合ってくれる人で、育休をとってくれたりワンオペで子どもたちを見てくれたり。この家族は私の命そのものと思えるくらい大事です」そんな中、3年前に父が亡くなり、母は一人暮らしとなった。これからどうしたらいいか分からないと言うので、兄とマユさんが実家に駆けつけて相談に乗った。
「兄は転勤となって、家族で遠方に住んでいます。面倒を見るなら私しかいない。だけど母は『マユの世話にはなりたくない』って。だったら勝手にどうぞと放置していたら、半年後に脳梗塞で倒れたんですよ」
幸い、軽い麻痺が残る程度にまで回復したが、心細くなったのか「マユのそばに行きたい」と言いだした。
母に愛されたことがないのに、今さら頼られても困ると思ったが、見捨てるわけにもいかなかった。腹立たしさだけが募ったとマユさんは言う。
母は近所で一人暮らしを
夫の助言もあり、実家は処分してマユさんの自宅近所にワンルームマンションを借りた。「びっくりしたのは母にはほとんど貯金がなかった。実家は借家だから資産価値なし。ワンルームマンションを借りる時も初期費用を夫が払ってくれました」
母は昨年、70歳となった。少し足を引きずるものの一人で歩けるし、身の回りのこともできるはずなのだが、近所で暮らすようになってから格段にわがままになった。
「私だって子育てと仕事と家事とで、1分1秒も惜しい。夫も同じです。週に数回、母の様子を見に行きますが、片づけもしないし、洗濯物もたまっている。それなのに近所のスナックにはよく遊びに行っているみたいで……。自分の生活くらい自分でちゃんとしてよと言ったら、遠方の兄に泣きの電話を入れる。高齢者だからなんとかならないかと役所に相談しましたが、基本的には要介護にも要支援にもならないんです、元気だから」
だが母は、「私は脳梗塞の後遺症で麻痺(まひ)が残るのに、娘は何も助けてくれない」とスナックでできた友人たちにぼやいている。近所の人から「お母さん、大丈夫?」と言われる始末だ。
夫に申し訳なくて……
「要は母の性格の問題なんですけどね。母としては自分を私の自宅に引き取ってほしいのかもしれない。だけどうちだって狭いし、私は自分の生活に母を介入させたくない。母に悪影響を受けて育ったわけだから、本来なら顔も見たくないんですよ。あのころのトラウマがよみがえる。でも夫は『そうは言っても親だからさ』と、母の様子を見に行ったりしてくれる。夫には本当に申し訳なくて心苦しいくらい。だからよけい母に腹が立つんです」いっそ見捨てたいと何度も思ったが、夫の気持ちに免じて自分を抑えているつもりだとマユさんは言う。
「今は週に2度ほど行って、洗濯、掃除をして冷凍食品を冷凍庫に詰めて帰ってきます。ごはんくらい自分で炊きなさいよと言って。先日はお金が足りないと言いだしたので、絶対にこれ以上の面倒は見ないから、年金の中でちゃんと生活して、それができないなら施設に行ってと突き放しました。夫が行ったら、夫の顔を見て泣きだしたそう。夫は不憫がっていましたが、それも母の計算だと私は思っています」
ただ、このままだと夫との関係が悪くなりそうで怖いとマユさんは言う。そうなる前に、なんとか母の処遇を考えなければならない。介護状態になる前の高齢親との関係、もともと確執がある場合は本当に難しい。