「あなたが役に立つかどうか試してみた」と
検査が終わると、義父母は病院前からタクシーに乗り「じゃあね」と去っていった。残されたマナさんは、結局、その場に呼ばれて「待った」だけ。頼られたわけでもなく、不安を打ち明けられたわけでもない。そもそも、義父のどこが悪いのかもわからない。「そのまま会社に行って仕事をし、帰宅するとその日は早めに帰った夫が夕飯の支度をしてくれていました。病院での顛末を話すと、『さっき、おふくろから連絡があってさ』と言いにくそうな顔をするんです。言ってよと促すと黙ってLINEの画面を見せてくれました。そこには『私たちの老後をマナさんに託すのは無理ね』と書いてある。気が利かない、配慮が足りないと言いたい放題。
そもそもどうして私が呼ばれたのかもわからず、一方的に来いといっておいて現場では何も言わない。こっちこそ老後の面倒なんて願い下げだわと思っていると、『おふくろ、マナを試したみたいなんだよ』って。結婚して20年もたってどうして今さら……とショックでしたよ」
息子の妻は未来の介護者なのか?
自分たちが介護を必要とするようになったとき、息子の妻はどんなふうに対応してくれるのか。それを検討するためにマナさんは「試された」らしい。「私は意味がわからなかったけど、義両親は当然、私が介護をするべきだと信じ込んでいる。だからどのくらい役に立つのか試したというわけです。でも前提が間違ってる。私は義両親を介護はしませんから。お金はあるんだからふたりで施設に入ってもらうのが一番だと思う」
夫にそうはっきり言うと「うん……。でも冷たいな、マナは」と寂しげに言った。だがマナさんは自分の両親にも同じことを言っている。遺産など残さなくていいから、私の時間と自由を奪わないでほしい、と。
「こういう言い方をするのは申し訳ないけど、いくら介護をしても何かが返ってくるわけじゃない。こっちだって老いはやってきているわけですよ。自分がやりたいことをやるためには時間がいくらあっても足りない。せっかく子どもの手が離れたんですから、私は自分の人生を生きたい。施設に行く資金がないならしかたがないけど、資金がある人たちはそちらを頼ったほうがお互いに幸せだと思うんですよね」
言っていることはもっともだが、それが義両親や夫には冷たく聞こえるのだろう。しかし、現実的に考えれば、彼女の時間も労力も「無駄に」奪われるのは事実だ。
「私は子どもには頼らない。介護してもらわないほうが対等な関係でいられるから。そのための資金は貯めるつもり。そのぐらい現実的に考えないと、これからの老後は生きていけないんじゃないかとさえ思う」
マナさんはきっぱりとそう言った。