顔が好みだと許せるって本当? 「顔の好み」と「円満な関係」のつながり
「好みの顔」を見ることは“報酬”になり得る?
「目の保養」という言葉があるように、ルックスが好みの人を見るだけで、自分にとって「報酬」になることはあります。だから、「顔が好みの人が相手だと、許しやすい」というのは、現実的にはあり得ます。ただしその場合、「顔が好み=好意を抱いている」というケースも多いでしょう。好意がある相手と、そうでない相手とでは、前者の方が許しやすいのは、当然あり得ること。つまり、見方を変えれば、「顔の好みに関係なく、好意を抱いていれば、許しやすい」とも言えます。
「顔が好み=生理的に受け付ける」という観点で考えても分かりやすいです。生理的に受け付けない相手の場合は、何をされているわけでなくても嫌悪感を抱いてしまうことはあり得ます。だから、感情面で言えば、許しにくいということはあるでしょう。
許せることにも「限度」がある
ただし、いくら顔が好みの相手でも、許せることには限度があります。深く心を傷つけられたり、大きな損害を与えられたりしても、「顔が好みの相手なら、謝れば許してあげる」なんてことはそうそうありません。それが、恋人や夫婦になったら、なおさらです。距離が近い分、相手の問題が自分に大きくのしかかるので、自分の生活、人生を脅かすことにもなり兼ねません。例えば、DV、浮気癖、浪費癖(借金)などは、「顔が好みかどうか」などというレベルのことだけでは、「許すかどうか」を決めるものさしにはならないでしょう。
見る目が養われると「顔が好み=内面も好み」になる
はじめは「顔が好み」だと思っていても、月日が流れ、自己の内面が成長するとともに好みが変わることはあります。自分自身の内面を磨くほどに、単に「上っ面の美しさ」だけにとらわれることはなくなってくるのです。それに伴い、今まですてきだと思っていた人が、そうではなくなってくることもあります。特に30歳以上になると、顔には、内面がよく出てきます。普段、どんな表情をしているのかによって、シワや表情筋が変わってきます。さらに、内面の在り方が佇まいや雰囲気にも表れてきます。
人を深く見られるようになると、相手の顔立ちがいくら整っていても、そこに内面の豊かさが表れていないと、魅力的に思えなくなってくるし、逆に、美形でなくても、表情や醸し出す雰囲気によってすてきだと思えるようになってくるのです。
その結果、意外にも「顔が好みの相手は、内面も好み」になってくることも。人を見る目が養われると、「顔が好みの相手は、人格的にもすてきな人」であることが増えてきます。そうしたら、「顔が好み=許せる」どころか、そもそも許さなくてはいけないようなことをされないのです。
内面を磨き、深い人間関係を築くべし
単に「顔が好み=許せる」という人は、逆を言えば、「相手が好みでなくなったら、許せなくなる」とも言えます。例えば、パートナーに対してそんな薄っぺらな愛情しかない人は、人として考えものです。それこそ、相手がどんな姿になろうと、自分は愛し抜くくらいの深い愛情を持てる人でいた方が、いい関係を築きやすいもの。そして、そんな愛情深い人間になったら、自分自身も、「いい顔」になっていることでしょう。
結局、「顔が好みの人は許しやすい」のは本当なのかどうかというと、浅い関係であれば当てはまるかもしれませんが、深い関係になればなるほど、そんな単純な話ではなくなってくることが多いということ。
物事を単純化した発想は、面白いものですが、実際に、深い人付き合いはそんな上っ面なことだけで左右されることは少ないし、そうではない関係でありたいもの。表面的なものにとらわれずに、私たちも内面を磨いていきたいものですね。