子どものころから「好きなように自分で選ぶ」習慣を
何をもってして、そして誰が私服を「華美」だと判断するのかはさておき、一般的な大人なら、中学生が着る服のイメージはつくはず。「たとえブランド物の服を着ている子がいたとしても、それはその家の考え方だから、やたら露出が多いとかではない限り構わないと思うんです。うちはそんなに子どもの洋服にお金をかけられないという家のほうが多いと思うから、たとえ子どもが羨ましがったとしても『うちは無理。あなたはまだ成長するんだし、服にそこまでお金をかける必要はない』とビシッと言える親でありたいですね、私は。子どもにもそういうことを考えてほしいし」
ヨシミさんはそう言いつつも、「今時だとむずかしいのかもしれませんけどね、着ている服を巡って子どもの間でいじめみたいなものが起こる可能性もあるから」ともつけ加えた。ただ、彼女が言うように本当の意味での多様性や子どものセンスを磨くには、小さなころから「自分で服を選ぶ」ことに始まり、あらゆることを自分で選択していく癖をつけるのは大事なのではないだろうか。
制服のほうが「気が楽」との声も
「うちの子たちは制服のほうが着るものを考えなくてすむし、みんなと同じだから気が楽だと言うんです。アパレル関係に勤めている私から見ると、考えちゃいますね。高校まで制服で、それこそお仕着せ状態の時代が長くなるのは果たしていいことなのかどうか。みんなと同じだから安心するという考え方がいいのかどうか……」ヨシミさんより7歳年上の夫は、さらに娘たちのありようを心配しており、「制服以外のことはすべて本人に決めさせたほうがいい」と何度もヨシミさんに言ったという。
「たかが制服かもしれませんが、夫と私は、お仕着せをよしとすることで、彼女たちの人生が『上から言われたら何でも素直に従う』ことにつながるのではないかと不安を覚えるんですよね。長女は私服可の公立に行くことも可能だったのに、推薦が一番早かった学校にさっさと決めてしまった。それも受験をしないほうが楽だからという理由。大げさかもしれないけど、今どきの娘たちの将来が大丈夫なのかなと夫とも話しています」
自分で選び、自分で決定する。人生はその繰り返しなので、ヨシミさんとしては「たかが制服、されど制服」なのだろう。今後、日本の学校の制服は、どういう方向に進んでいくのだろうか。