ちやほやされすぎた?
夫は、母親が40歳近くになって初めてできた子だった。夫の両親は30歳前に結婚したのだが、なかなか子どもはできなかった。諦めかけたときにようやく生まれた子だから、両親は大事に育てた。「大事なだけではなく、かなり過保護に育ったようです。過保護な上に、『あなたは普通の子と違うの。才能も魅力も桁違いの子なの』と母親に言われ続けたらしい。だから過剰な自分好き、自己肯定感高すぎ人間になったんでしょうね」
自分を肯定するというのは、「無条件に」ではないはずだ。迷いや葛藤を経て、最後には「ダメな自分も受け入れる」のが本当の意味での肯定感。このままの自分が大好きで、自分は最高だというのは、彼女が言うように単なる自分好きで、本来の自己肯定とは少し異なる。
「自分好き」と本来の「自己肯定」は違う
本来の自己肯定の土台は「自分は生きていていい」という感覚だ。自分の性格を受け入れるとか自分の言動を是とするというような意味での肯定感は、後天的に学び取るもの。つまり、自己肯定感は二層になっている。土台の肯定感は、親や共に暮らす人たちから授けられるものかもしれない。何らかのきっかけがあってひきこもる人は、親との関係が悪く、その土台となる肯定感を持てずに苦しんでいることが多い。「自己肯定感が高いというと、きちんと育ったいい人というイメージがあるけど、私に言わせれば夫は甘やかされて、なんでも受け入れられた人でしかない。夫は子どもたちにも『きみたちは最高』と言ってるけど、具体的じゃないんですよね。こういうところはいいところだけど、ここは直したほうがいいと言うのが親じゃないんでしょうか」
もちろん、そうした躾について夫と話したこともある。だが、夫は自分がそうされたように「子どものあるがままを受け止め、褒めて育てる」という観念しかもっていなかった。もちろんそれは大事だが、それ以前に「子どもに最低限の善し悪しを教えること」「あるがままは最終形であって、それまでに自分で悩み考える癖をつけさせること」が重要だと彼女は訴えた。
「そうしたら夫は『むずかしいことはわかんないけどさ、オレみたいに育てばいいんだよ』って。浅い、と思わずつぶやいてしまいました(笑)」
トオコさんとしては、夫に気づかれないよう、子どもには夫を反面教師にしてほしいと願っている。なぜなら、夫は自分でいうほど充足感を覚えているようには見えないからだ。
「いや、夫本人は幸せなのかもしれません。肯定感が高すぎて傷つくこともないから。だけどもう少し熟慮できる人なら、傷つくかもしれないけどもっと深い人生を送れるんじゃないかと思うんです。人間関係も仕事も」
自己肯定感が高すぎる人は、意外と損している?
ふたりともフルタイムの共働き、業種も近いとあって、トオコさんは夫の話を聞けば仕事ぶりがわかる。やはり浅いのだ。自分はこれでいいと思っているから成長が見えない。一緒に暮らしていても、「自分最高」の夫にイラッとくることは多々ある。「居丈高に威張る夫よりは、まだマシかもしれませんが、話をしていてもだいたい私は途中で諦めちゃいますね。もうちょっと深い会話を交換したいなと思うけど、夫にそれを望んでも無理だなとわかってるから望みません」
自己肯定感が高すぎると、客観性を失うという欠点もある。自分を突き放してみる「目」をもつことは大事だ。それを失うと物事を見る目に偏りが生まれる。
「人間だから感情的にも舞い上がったり落ち込んだり、いろいろありますよね。それらすべてが生きているということだと思うけど、夫は常に肯定感が高いから人生の喜怒哀楽をきちんと感じられないんじゃないかなと見ていて思います」
自己肯定感の高すぎる人は、意外と人生で損をしているのかもしれない。