もしも無職になってしまったら
シンイチロウさん(55歳)は、定年まで5年あるはずだが、昨年から、30年勤めていた会社を休職中だ。この年齢になって人間関係に悩まされ、精神状態がよくなくなったからだ。療養中の彼に代わって、妻のサツキさん(55歳)がその顛末を話してくれた。「夫とは学生時代からの友人で、卒業後、再会してからつきあい始め、29歳で結婚しました。長女はすでに就職、次女は大学生です。夫は学生時代からとても心の優しい人で、再会したときは職場のずるい人間や仕事上の不正ギリギリのやり方に悩んでいました。共働きだったし仕事をやめてもいいと何度も言ったけど、彼は頑張っていたんです」
ところが50歳を迎えてすぐ、子会社に出向となった。出向先では「監視に来たのか」と嫌がらせもされたそうだ。それでも彼は誰かと揉めることもなく、真摯に仕事をしていた。そんな彼を周りも認めてくれるようになったとき、元の会社は彼を一度呼び戻してから、それまでと別の会社に在籍出向させた。そこは前の子会社よりさらに小さな会社で、彼は管理業務を任されたものの、とてもひとりではおさめきれなかったようだ。
「夫のような性格の人が50歳を過ぎてから出向続きなんて、本当につらかっただろうなと思います。もともとは夫はけっこう出世が早かった。40代後半で派閥争いに巻き込まれて運命が変わったんです。心身ともに疲弊していたので、知人の弁護士にも相談して、とりあえずは休職させたんです」
定年にはまだ間があったものの、ふたりは「定年になったら旅行しよう」「ふたりきりで過ごすなら、早めに家を売却してもいいかもね」と老後の楽しみを話し合っていた。だが、それらはすべて吹っ飛んでしまったとサツキさんは言う。
「彼は私の大事な親友であり家族です。ともに生きていくためにも、心身の健康を取り戻してほしい」
まさかこんなことがあるとは思っていなかったとサツキさんは言う。ふたりで定年を迎え、その後も働けるうちは働きながらふたりで楽しく暮らしていこうと決めていたのだ。それなのに夫は定年退職を待たずに辞職する可能性も高い。
「まじめで優しい夫だからこそ、心身を壊していったのでしょう。それが悔しい。会社はなぜ適性を見極めてくれなかったのか。夫の上司は『優しいというより弱いんだよ』と平然と言ったんです。派閥で揉めたときに辞職させれば、こんなことにはならなかったと思うと悔やまれます」
人生、何が起こるかわからない。「まさか」という坂もあるとよく言われる。一寸先は闇。定年が見えてきたとき、そんなふうに感じている人たちも多いのかもしれない。