脳科学・脳の健康

クロルプロマジンとイミプラミン…心の病気の薬物療法を開拓した2つの薬

【脳科学者・薬学博士が解説】脳科学の研究が進む中で、実態がつかみにくい「精神(心)」も、脳の働きが反映された物質的なものだと明らかになってきました。今回は代表的な薬である「クロルプロマジン」と「イミプラミン」の歴史から、「精神とは何か」を脳科学的にさらにわかりやすく掘り下げてみましょう。

阿部 和穂

執筆者:阿部 和穂

脳科学・医薬ガイド

精神・心とは何か? 物理的な脳の活動で成り立っているもの

「クロルプロマジン」と「イミプラミン」とは

「クロルプロマジン」と「イミプラミン」とは


私たち人間の「心」の働きは、一般に「精神」と言われます。心の病気の歴史には、呪いや悪魔のしわざで精神に異常が生じた状態と考えられた時代がありましたが、現代でも「心」「精神」は実体のない、非物質的な存在とイメージされることが多いようです。

しかし、現代の脳科学の進歩により、精神は脳の働きを反映しており、より具体的には、神経系のシナプスや神経伝達物質の変化によって精神状態が変わることが明らかになってきました。また、「精神とは何か…心・精神はなぜ薬でコントロールできるのか」で紹介したように、1950年ごろに炭酸リチウムという化合物の投与によって、精神疾患患者の躁状態を改善できることが証明され、脳の活動によって精神が生み出される”物質的な”仕組みが少しずつ理解されるようになりました。

今回は、炭酸リチウムに次いで、精神状態をコントロールすることができることが見出され、精神疾患の治療だけでなく病気の成り立ちを理解することにも貢献した2つの代表的な薬「クロルプロマジン」と「イミプラミン」の歴史を振り返ることによって、「精神とは何か」を脳科学的に理解する機会としたいと思います。
 

クロルプロマジンが発見された歴史・意義……統合失調症治療に使われる薬

クロルプロマジンは、精神の興奮を鎮める「鎮静作用」が強く、統合失調症に伴う興奮や幻覚・妄想を抑えるのに使われる薬です。ただ、副作用もそれなりにあるため、その後クロルプロマジンを改良した薬がたくさん作られ、現在の統合失調症治療ではそれらの新しいタイプの薬が主となり、クロルプロマジンが使用されることは少なくなりました。しかし、それまで考えられなかった統合失調症に対する薬物治療の道を拓いた意義は大きいので、クロルプロマジンが発見された歴史を紹介しましょう。

クロルプロマジン発見の源流となったのは、1940~1960年代に見いだされた第一世代抗ヒスタミン薬です。花粉症や蕁麻疹などのアレルギー疾患は、アレルゲン(アレルギー反応を生じる原因物質)にさらされたときに体内でヒスタミンという物質が分泌されて発症するので、その反応を抑えるために用いられるのが抗ヒスタミン薬ですが、この薬には「眠気を生じやすい」という欠点がありました。そのため、抗ヒスタミン薬をもっと使いやすくするため、多くの製薬メーカーは「眠気を生じない薬」を探し求めました。しかし、それとは逆の着想をした医師がいました。

フランスの外科医アンリ・ラボリは、抗ヒスタミン薬によって生じる眠気を、好ましくない副作用と考えませんでした。眠気が生じるのは、薬が脳に入り込んで神経の興奮を鎮めるからであって、その作用を利用すれば、安定した全身麻酔を得るための併用薬として役立つのではないかと思いついたのでした。特にラボリが注目したのは、フェノチアジンという特徴的な化学構造を含んだ抗ヒスタミン薬の一つ「プロメタジン」という薬でした。この薬は、風邪の症状をおさえるのに使われる「PL配合顆粒」などにも含まれ、現在も使われていますので、実際にのんだことがあるという読者もいらっしゃることでしょう。

ラボリは、プロメタジンよりもさらに強く中枢抑制作用を示すフェノチアジン誘導体を求めました。そして、ラボリの依頼を受けたフランスのローヌ・プーラン社で「クロルプロマジン」が合成され、1952年2月にはラボリが麻酔の併用薬(主に自律神経安定薬)としてクロルプロマジンを術前患者に投与しました。またこのとき、精神を落ち着かせる効果があることが観察され、精神疾患治療にも有用である可能性が示唆されました。

1952年3月にはラボリの共同研究者であったJ・アモンやJ・ドゥレイらが躁病性興奮患者や統合失調症患者にクロルプロマジンを投与する臨床研究を行い、繰り返し学会報告することでその評判はフランス全土に広まり、1953年の春までにはヨーロッパ中でクロルプロマジンが用いられるようになりました。クロルプロマジンの精神科臨床への導入は、現在の日本における臨床試験の状況からは考えられないほどの速さで進んだのです。

その背景には、前記事「精神を薬でコントロールする」で紹介した、炭酸リチウムの発見がありました。精神が非物質的な存在と信じられていた時代には、薬で精神異常を改善できるなどとは誰も考えませんでしたが、長年の試行錯誤の末に、炭酸リチウムの有効性が実証されて、多くの人に支持されるようになってからは、精神異常を改善できる薬の探索が一気に進みました。クロルプロマジンはその流れにのることができたというわけです。

なお、世界的には、クロルプロジンが実用化されたのは炭酸リチウムの後でしたが、日本でクロルプロマジンが発売されたのは1956年で、炭酸リチウム(1980年発売)より先でした。

いずれにしても、ラボリのちょっとした発想の転換で生まれたクロルプロマジンは、その後に多数開発されることになった多くの統合失調症治療薬の礎となりました。もしその発見がなければ、今のような薬物療法はできなかったかもしれませんから、その意義は計り知れません。
 

イミプラミンが発見された歴史・意義……日本で最初に発売された抗うつ薬

一方、1948年にスイスのガイギー社で、クロルプロマジンに含まれていたフェノチアジン環とは少し異なる「イミノジベンジル環」という構造をもつ42個の誘導体が合成されました。そのうちG-22150(開発コード名)という化合物の薬理作用をスイスの精神科医ローランド・クーンが調べたところ、鎮静作用はなく、逆に精神活動を高める作用があることが分かりました。奇しくも同時期に、クロルプロマジンが統合失調症治療への応用に成功したことから、クーンは、G-22150を精神疾患治療に応用しようとしましたが、副作用が強かったため、代わりに別の G-22355が検討されることとなりました。また、精神を賦活させることができるということは、統合失調症などよりも、精神活動が低下している「うつ病」の治療に向いていると考えられ、1956年にはうつ病患者に投与して効果の検証が行われ、実際に抗うつ効果があることが確かめられました。この G-22355こそがイミプラミン(一般名)で、その発見は1957年スイスの学術誌に公表されました。最初の抗うつ薬として、日本では1959年に発売されました。

その成功を受けて、その後、似たような構造をもった別の抗うつ薬として、アミトリプチン(日本での発売は1961年)、ノルトリプチリン(日本での発売は1971年)、クロミプラミン(日本での発売は1973年)などが次々と使用可能となり、さらにはまったく違う系統の化合物の中からも抗うつ作用を発揮する薬がたくさん見出されて、治療の選択肢がどんどん増えていきました。今の日本で使用可能な抗うつ薬は、20種類以上にのぼります。このように薬物を中心としたうつ病の治療が可能になったのは、すべてイミプラミンが発見されたおかげと言っても過言ではありません。

化学構造が瓜二つなのに、薬効がまったく逆という不思議

偶然の発見ですが、クロルプロマジンが精神活動を抑制したのに対して、イミプラミンは精神を賦活する効果を示しました。つまり、患者の精神状態に応じて薬を選択することによって、精神活動を抑えることも高めることもできるようになったことは、すごいことです。

下の図に、クロルプロマジンとイミプラミンの化学構造を並べて示します。化学構造なんてチンプンカンプンという方でも2つの図形を見比べれば気づくことがあるにちがいありません。
クロルプロマジン,イミプラミン,化学構造式

クロルプロマジンとイミプラミンの化学構造

そうです。両薬の化学構造は、とてもよく似ているのです。とくに、図中で灰色に塗った環状構造の上に伸びている側鎖(プロピルジメチルアミン)はまったく同じであり、違うのは三環部分の一部に過ぎません。一般に薬の作用は、化学構造の違いによって変わると考えられていますが、クロルプロマジンとイミプラミンの場合は、わずかに化学構造が違うだけで、精神に及ぼす効果が全く逆(クロルプロマジンは精神を抑えるが、イミプラミンは高める)というのは、何とも不思議で、興味深いですね。

精神が脳のシナプスや神経伝達物質の働きによって生じると言っても、具体的な仕組みの全容はまだ解明されていません。脳の形を外から眺めていても何も分からないからです。しかし、クロルプロマジンやイミプラミンのような薬がどうして精神に影響を与えるのかを探求すれば、精神をコントロールする脳の仕組みを解明する貴重な手がかりが得られることでしょう。病気を研究して薬を作り、できた薬を使って現れてくる効果を知ることで逆に病気の仕組みがもっと詳しく分かる。そうして病気と薬は、常に切り離せない関係にあるのです。化学構造が似ているのに効果が真逆というクロルプロマジンとイミプラミンの違いを深く研究することは、「精神とは何か」という疑問に対する新たな答えを導いてくれることでしょう。
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