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【新常識】日本最古の貨幣「富本銭」とは? いま「和同開珎」は教科書で習わない?

日本最古の貨幣といえば、「和同開珎」と覚えた方も多いことでしょう。しかし、今は違います。今の教科書では、日本最古の貨幣は「富本銭」なのです。富本銭とは一体何なのでしょうか? なぜ変更されたのか、その経緯に迫ります。

伊藤 亮太

執筆者:伊藤 亮太

株式・ファイナンシャルプランナーガイド

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日本最古の貨幣は「和同開珎」ではない! 教科書を変えた「富本銭」とは?

日本最古の貨幣は?と聞かれて、多くの社会人は「和同開珎(わどうかいちん・わどうかいほう)」と回答するのではないでしょうか。しかしながら、今の教科書では、日本最古の貨幣は「富本銭(ふほんせん)」が正解です。

実は、富本銭は和同開珎よりも古くからつくられていた可能性が極めて高く、奈良県の飛鳥池工房遺跡がその造幣工場であったことが明らかとなったことで、「日本最古の貨幣」が変更されたのです。
 

和同開珎とは? 大人向けにおさらい

そもそも和同開珎がどういうものだったか。名前は覚えているけれど、詳細は覚えていない人も多いのではないでしょうか。おさらいしておきましょう。

和同開珎は、708年に武蔵国秩父郡から銅が産出されたことを記念して、年号を「和銅」に改元するとともに、製造された貨幣です。もともとはこの和同開珎が日本最古の貨幣であるとされていました。皇朝十二銭と呼ばれる、12種類の銅銭の最初になります。

出土例も多数あり、「日本で流通した最初の貨幣」としては和同開珎が未だスタンダードとされるかもしれませんが、日本最古の貨幣という観点からは富本銭へと変更されています。
 

富本銭とは?

日本最古の貨幣が富本銭へと変更されたのはなぜでしょうか? 実は、1999年1月に奈良県の明日香村にある飛鳥池工房遺跡で行われた発掘調査がきっかけです。

富本銭は、1969年に平城京跡から1枚発見され、その後も平城京跡、藤原京跡、群馬県藤岡市の上栗須遺跡からも出土しているものの、毎回1枚のみの出土となっており、発見されている枚数が少ないことから、流通した貨幣とは断定できない状況であったのです。

しかしながら、飛鳥池工房遺跡の発掘調査により、かけらも含めて34枚の富本銭が出土します。その後の発見も含めると、遺跡全体では300枚ほどが見つかります。さらには、鋳造道具や鋳造用の炉や窯の跡も発見されるなど、飛鳥池工房遺跡が造幣工場であったことが明らかとなったのです。このようにして、日本最古の貨幣へと認定されるに至るのです。
 

今後も研究によって教科書が変更されるような発見があるかも

ちなみにこの富本銭、『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京)に登場したことがあります。依頼品は本物であり、なんと1000万円の鑑定結果となりました。さすがにこのような貴重な物が民間に出回ることはめったにないとは思いますが、依頼者は2万円で入手したそうですよ。夢がありますね。

富本銭に限ったことではありませんが、今後も研究によって教科書が変更されるような発見があるかもしれません。私たちが覚えた歴史も、時には塗り替えられることもあるのです。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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