10年という節目で考えたこと
■家族が遠く離れているタイミングの地震だったら?東日本大震災では、筆者が住んでいる地域は震度5強を観測しました。幸いなことに家屋の倒壊などはありませんでしたが、「なんだ、この地震は」と感じたのを覚えています。今まで経験したことがないような強くて長い揺れだったからです。
地震が起きたとき娘は自宅に、息子は小学校にいました。小学校もそう遠くはありませんし、筆者が歩いてでも迎えに行ける距離です。でも10年たった今、娘は高校生で電車で通学しています。息子にいたっては大学進学で県外に出ることになるため、もし大きな地震が起きたらすぐにかけつけるのはほぼ無理ですし、おそらく電話やネットはつながらないでしょう(東日本大震災の時もそうでした)。
そうなった場合、お互いにどうすればいいのかを考えておく必要があると思いました。例えば自分がいる地域の避難所に行くなど、指示にしたがって自分の安全確保をすることだと考えています。
■季節が真夏だったら? 10年の節目でもう1つ考えたのは、もし季節が夏だったら?ということです。東日本大震災のような大きな災害が真夏に起きたら、停電で冷房は使えないでしょう。そして水道も止まってしまうのではないでしょうか。
ここ数年の酷暑を考えた場合、どうやって暑さをしのげばいいのだろうと考えました。冷蔵庫も使えないので、食品はダメになります。もちろん扇風機も使えません。夜も気温が下がらず熱帯夜。余震の恐怖もある中で、かなりのストレスがかかると思います。
幸い筆者は地方に住んでいるので山に囲まれた避暑地はあります。キャンプの準備をして山に篭るのもアリではないかと家族で話したりもしました。そうなると蚊取り線香や虫除けは必要、火を起こせるものが必要など、備えるべきものがだんだん見えてきました。
東日本大震災が起きたのが3月なので、どうしても寒さ対策を考えてしまうのですが、地震はいつ起きるか分かりません。季節を問わないことに気づき、そして考えられるようになったのは、あれから10年という月日が経ったからだと思います。さまざまな可能性を踏まえて震災を考えるタイミングになったのだろうと。
一番怖いのは人間の心
地震で大きな被害を受けてしまうのも怖いのですが、それ以上に怖いかもしれないと思うのは、人の心です。不便な生活が続くと必ずストレスがかかります。例えば水が出ないとなったら水の奪い合いになるなど、冷静さを欠いてしまうのはとても怖いと思っています。これは新型コロナウイルス感染症のマスクでも同じでした。でも私たちはこれまで様々な経験をする中で、先を読む力も身につけているはずです。10年間の経験をこの先に活かしていく。考え方をシフトすることも10年目の今だからこそできることではないかと考えています。