小学校

学校における「体罰」、本当に正しい指導・教育との違い

学校の教員等による「体罰」の問題をニュースなどで見聞きすることがあります。「体罰」という言葉は何となく理解できるものの、「教育」や「しつけ」との違いについて、はっきりとしにくい部分もあるでしょう。体罰とは何か、子どもの将来を考えた上で本当に大切な教育・指導とは何でしょうか。

鈴木 邦明

執筆者:鈴木 邦明

子育て・教育ガイド

ニュースなどで見聞きする学校やその部活動の教員等による「体罰」の問題。「体罰」という言葉は何となく理解できるものの、「教育」や「しつけ」との違いについて、はっきりとしにくい部分もあるでしょう。体罰とは何か、子どもの将来を考えた上で本当に大切な教育・指導とは何でしょうか。
 

長時間正座など間接的な罰も含む、学校における「体罰」とは?

体罰

体罰については、法的に規定がされている

体罰とは「強く叩く」「殴る」「蹴る」といった直接的なものだけではありません。「長時間正座をさせる」「トイレに行かせずに課題に取り組ませる」といった間接的なものも体罰に含まれます。

文部科学省は体罰に関し、平成19年2月5日の初等中等教育局長通知「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」において、次のように示しています。

教員等は、児童生徒への指導に当たり、いかなる場合においても、身体に関する侵害(殴る、蹴る等)、肉体的苦痛を与える懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間保持させる等)である体罰を行ってはならない。

また「教職員の主な非行に対する標準的な処分量定」というものには、体罰を行った教員に対する「処罰」が下のように定められています。
  • 免職:
    ・体罰により児童生徒を死亡させ、又は児童生徒に重篤な後遺症を負わせた場合
    ・極めて悪質又は危険な体罰を繰り返した場合で児童生徒の苦痛の程度が重いとき
  • 停職減給:
    ・常習的に体罰を行った場合
    ・悪質又は危険な体罰を行った場合
    ・体罰により傷害を負わせた場合
    ・体罰の隠ぺい行為をした場合
  • 戒告
    ・体罰を行った場合
  • 停職・減給・戒告
    暴言又は威嚇を行った場合で児童生徒の苦痛の程度が重いとき
    常習的に暴言又は威嚇を繰り返した場合
    暴言又は威嚇の内容が悪質である場合
    暴言又は威嚇の隠ぺい行為を行った場合
なお、例外的な事例として、児童生徒からの暴力に対抗するために自己防衛、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対する制止・危険回避のために止むを得ない場合などは、体罰には当たらないとされています。
 

教員による「懲戒」は生徒指導のために必要

一方、教員は必要に応じて、児童生徒に「懲戒」を与えることができるとされています。懲戒とは、児童生徒が間違った行動などをしたときに、何らかの行為を行わせることで良い形での成長を目指してのことです。

また「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」においては、体罰に当たらない具体例が示されています。

有形力の行使以外の方法により行われた懲戒については、例えば、以下のような行為は、児童生徒の肉体的苦痛を与えるものでない限り、通常体罰には当たらない。

  • 放課後等に教室に残留させる(用便のためにも室外に出ることを許さない、又は食事時間を過ぎても長く留め置く等肉体的苦痛を与えるものは体罰にあたる)。
  • 授業中、教室内に起立させる。
  • 学習課題や清掃活動を課す。
  • 学校当番を多く割り当てる。
  • 立ち歩きの多い児童生徒を叱って席につかせる。

学校における体罰はナンセンス、厳しすぎる指導も子どもにマイナス

以上のように児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方が示されていますが、私が学校における指導について危惧することは、体罰が有り得ないことは当然ですが、間接的な体罰につながるような「厳しい指導」も子どもの成長に大きくマイナスであるということです。

私は小学校の教員として22年間、学校現場にいました。学校現場においては「厳しい先生」が評価される場合も少なくありません。厳しい先生とは、自分の学級の子どもをしっかりと指導し、他の学級よりもきちんとさせるような教員のことです。このような指導の全てを否定するわけではありませんが、こういったタイプの教員は、ときに「威圧的な指導」をすることもあります。

短期的にみれば、子どもがきちんとしていることは良いことのようにも思われます。その行動が習慣化されることで、中身が伴っていくということもあります。ただ、子どもがきちんとしている状態が、どのような理由によって成り立っているのかということが問題です。
体罰

体罰だけでなく、厳しい指導もマイナスになる場合も

子どもの見方でいえば「怖い先生」を前にすると、「ちゃんとしないと先生に怒られる」ということが行動の動機になることが多いです。しかし「怒る」教員の存在がなくなってしまったら、子どもたちはきちんとできなくなってしまうともいえます。よく見られるのが、怖い学級担任が授業をしている場合は授業がきちんと成立するけれども、そうでない音楽専科が担当している場合は成り立たなくなってしまうというものです。

教育において大切なことは、「怒られないように」ということを考えさせて子どもが行動するのではありません。子どもが「何をすることが正しいのか」を自分で考え、判断し、行動することが望ましいことです。

「怖い先生」は、子どもが考える機会を奪ってしまいかねません。また、その「怖さ」という重しが取れてしまう、例えば、学年が変わり新しい担任になったら、子どもはきちんと行動ができなくなってしまうことが多いものです。

教員も親も子どもと関わる際、短期的な視点になりがちで、一時的に力で押さえ込むタイプの関わり方をしてしまうことがよくあります。もちろん目の前のいけない行動を止めることは大切ですが、長期的な視点を意識すると、「怒られないように」子どもを行動させるのは間違っていることが分かります。子どもに関わる大人は、しっかりとその子どもの一生ということも考えながら関わっていきたいものです。

【参考情報】
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