毒親育ちで恋愛できないと思っていた……
毒親育ちで恋愛できないと思っていた
自分を肯定できない人たちの声を最近、よく聞く。もちろん、以前からそういう人はいたのだろうが、ようやく口に出せる世の中になったということなのか、あるいは一般的に知られるようになったからなのか。いずれにしても、自分を否定してばかりいると幸せを感じることもできない。
親に褒められたことのない子ども時代
「最近、やっと自分を認められるようになったんです。それと同時に罪悪感も募るという矛盾した状況ではあるんですが」
ミユキさん(35歳)は小声でそう言った。彼女は転勤族の父親のもと、中学までに5回も転校したという。2歳年下の弟、4歳年下の妹がいるが、両親は長女の彼女にやたらと厳しかった。
「母は自分も大学を出ているのに父と結婚したばかりに仕事もできない。どこに行っても社宅住まいで近所の目もうるさいし、友だちもできない。いつもそうやって愚痴ばかり言っていました。過去の話しかしないんです。小さいころはおかあさん、かわいそうと思っていたけど、小学校高学年になるとそういう父と結婚したのは母自身だろうと思うようになりました。ただ、母は私に関しては、過保護で過干渉でしたね。『あんたは何もできないんだから』が口癖だった。ずっとそう言われて育ったので、私自身も自分はダメな人間だと思い込んでいました」
刷り込みは怖い。自分で自分をダメな人間だと思わされたら成績だって上がるはずもない。友だちの中でも言いたいことを言えずに我慢するような子だった。どうせ転校してしまうのだからという思いもあった。
「中学3年で東京に転勤してきて、高校は都立高へ入りました。その後、父は単身赴任を繰り返していました。すると母は私を夫代わりに頼るようになったんです。過保護と過干渉で支配しながら頼るというすごい状況で、私は疲れ果てていきました」
高校生なのに門限は18時。部活のあと友だちとファストフードに立ち寄っておしゃべりすることさえ許されない。休日に友だちと出かけることもできなかった。それでいて父方の親戚の法事や行事にはひとりで行かされた。
「近所づきあいの愚痴やら相談やらも私に言ってきて……。母にとって私はどういう存在だったのか今もわかりません。弟と妹には、母親らしく接していたし、非常に甘かったですね」
大学に合格すると、彼女は家が遠いという理由をつけて友だちのところを泊まり歩くようになった。母が激怒して泣いたり騒いだりしたあげく、殴りかかってきたこともあった。
「これ以上、家にいたら私が母に暴力をふるってしまう。せっぱつまった思いにかられて家出しました。大学の男友だちが、『うちに来てもいいよ』というので、彼と一緒に暮らし始めたんです。嫌いではなかったけど恋愛でもなかった」
母は学費を払ってくれなかったため、彼女は2年で退学せざるをえなかった。
アルバイトを転々として
それ以来、ミユキさんはアルバイトを転々とした。キャバクラやクラブのホステスも経験したが、「私はきれいじゃないし知識もないし気も利かないから売れっ子にはなれなかった」と振り返る。自分を否定しながら生きるしかなかったのだろう。そういう思考回路になってしまうのである。それなりに男性とつきあったりもしたが、多くは「生活のためだった。食事をさせてくれたりお小遣いをくれる男性と疑似恋愛みたいなことをしていただけ」だという。
ところが今から4年前、アルバイトをしていたスナックで8歳年上の男性と知り合った。
「彼はやけに私を褒めてくれるんです。褒められたことなんてないから、かえって気持ちが悪くてよく冗談交じりに言い返していました」
あるとき一緒に食事をしたことで、彼への印象が変わった。
「小料理屋さんに行ったんですが、ちょうどサンマの走りの時期。彼は焼いたサンマの身をとってくれたんですよ。驚いて箸も出せなかった。『うち、子どもが3人いてさ、小さいときはよくこうやってとってたなあ』って照れたような顔をしていました。親子ってそういうものなの?と思わず聞いてしまいました」
そこからふたりはいろいろな話をした。ミユキさんも彼には心を許して、これまでの人生を語り続けた。親との関係、自分を否定ばかりしてしまうこと、愛情がわからないこと、どんなに話しても話し足りなかった。
ふたりがごく自然に結ばれたのは、それから2年後だ。2年間は親しい友だちのままだった。男と女の関係になるのが怖かったと彼女は言う。
「生まれて初めて好きだと思える人でした。人として信じてもいた。関係をもったら不倫です。彼を不倫する男にしたくなかった」
それでも自分の欲求を無視することはできなかった。
「彼を好きになった自分が好き。だけど立場を考えると、こんなことをしている自分は嫌い。今度はその矛盾に苦しむようになりました」
家庭は捨てられない、ミユキのことも大好きだけど、オレより気が合う男性が見つかったらミユキはさっさとそっちに行ったほうがいい。彼はときどきそう言い、彼女はその言葉に涙ぐむ。
「それでも生き直せると思ったのは彼のおかげです。私、今、通信制の大学で勉強しているんですよ。もう一度、人生をやり直すつもりです」
いつまでも彼と一緒にいたい。まだ別れる覚悟はできないから、と最後に彼女はきれいな笑顔を見せた。
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