唐突に失われた日常、子どもの「喪失」にどう寄り添えば?
卒業までの学校生活が、臨時休校により突然失われてしまいました
ひとり親家庭、共働き家庭に激震が走ったこのたびの一斉休校ですが、卒業年次にあたる子どもたちとその親は、やむを得ないとあきらめながらも、学校生活が突然断ち切られたことに大きな戸惑いを覚えていることだと思います。
親や周りの大人たちは、子どもたちの「喪失」にどのように寄り添えばよいのでしょうか。
「卒業」は、その準備を含めての分岐点
「いつか同窓会で笑い話になる」「セレモニーよりも日々の思い出が大事」という声も聞かれます。そう思わなければやってられない、他に声のかけようがない、ということでもあるのでしょう。でも、それは当事者ではないから言えることかもしれません。「自分の(子どもの)卒業年次じゃなくてよかった」という安堵がどこかにないでしょうか。「卒業まであと○日」とカウントダウンしていた仲の良いクラスもあったでしょう。好きな子に告白しようと勇気を奮い立たせていた子もいるかもしれません。授業での最後の課題に一生懸命取り組んでいた子もいたでしょう。卒業までには1日くらい登校してみようと決意していた不登校の子もいたかもしれません。
多くの学校で、卒業式は簡略化して在校生や来賓の参加はなくなり、送る会や謝恩会も中止となっているようです。30分程度の卒業式の後は速やかに帰るようにとの指示。今年の卒業生は、卒業式後に友だちと写真を撮ることも、部活の後輩から花束をもらうこともないのです。
毎日顔を合わせていたクラスメートの中には、もう二度と会わない子もいるかもしれない。「卒業」に対するそのような感慨は、あまり学校に思い入れがないタイプの子どもでも、あるいは、そういうタイプであるがゆえに、持つものかもしれません。
卒業証書を手に、大泣きする子、照れ笑いの子、それらを斜に構えて見ている子。様々な情緒を体験することが、筆者は「卒業」なのではないかと思います。
大人になってみれば「大したことのない思い出」になっているかもしれません。でもそのように評価できるのは、自分が何事もなくそこを過ぎ去ったから。経験そのものを奪われることへの想像力を働かせながら、親は子どもに関わりたいものです。
「喪失」のケアで今大切なこと
かけがえのない人や物を失うことを「喪失(loss)」といいます。9年前の3月に起こった東日本大震災では、多くの人が、一斉休校とは比べものにならない喪失を体験しました。でも、「だから、たいしたことない」というのは違うのではないでしょうか。卒業前の、あるいは進級前の、残りわずかな学校でのかけがえのない時間を失った子どもたちは、ていねいにケアされていいはずです。大切な人を亡くした時などに、その悲しみをサポートする「グリーフケア」というものがあります。グリーフケアでは、喪失からの回復プロセスとして「ショック期」「喪失期」「閉じこもり期」「癒し・再生期」という4つの段階があると考えられています。そして「早く立ち直らなければ」という焦りとともに、これらのステップを行きつ戻りつしながら回復していくとされます。これは様々な喪失体験に応用できると思います。
大切な人を亡くした時などにその喪失体験をサポートする「グリーフケア」
卒業を控えた中高生の中には、受験を控えている子どもたちも少なくなく、休校に伴う様々な感情を「棚上げ」している時期かもしれません。その場合、気持ちの落ち込みは、受験が終わり、落ち着いた頃に時間差でやってきますので「今頃ショックを受けているのか」と軽く扱わないようにしましょう。
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