互いに向き合える、家族のあたたかさ
生田斗真演じる主人公が意識高い系のヘリクツ王・岸田満。6年間のニート生活は決して閉ざされたものではなく、家族のアキレス腱でもなく、どちらかと言うと家族の潤滑油的存在ではないだろうかと感じてしまう魅力がある。
たとえば姪の春海(清原果耶)との関係。高校受験に揺れる春海に、自身の経験を交え、好きな人がいる高校を目指す選択はおすすめしないと言葉をかける。「参考にするよ」という春海と「それでよし」と言う満の関係は、踏み込み過ぎず、ちゃんと寄り添う素敵な距離だ。LINEやメールとは違う人と人の間に生まれる空気がとにかく心地いい。
家族は彼のヘリクツを適当にあしらうでもなく、冷たい視線を送るでもなく、最後まで話を聞いて、あれこれと理解に努める。理解を見せない姉・綾子(小池栄子)とて匙を投げることはない。現実的には課題が多いかもしれないが、家族が向き合う風景は、おもしろくてやさしい。
人とのつながりがみえる、会話で魅せるドラマ展開
ちゃぶ台で食事をしたあとソファに移動してテレビを見るという動線が岸田家にはない。時折携帯電話は登場するものの、話は「面と向かって」が鉄則だ。偏屈な満の話を最後まで聞くのもお決まり。
それは家族に限ったことではなく、この街の人たちにも言えることだ。彼らもまた満の話に耳を傾け、言いたいことは会って伝える。登場人物たちは、人間が本来持っているSNSにはない“つながるための術”、誰かを受け入れるための心の余裕を持っている。だからこそ、この街の人は自転車の楽しさや夜のアイスのおいしさを知っている。
家族の話を楽しむ、いわば非常にシンプルなドラマなのに、面と向かって話すことの意味や受け入れる豊かさを再確認できる物語にもなっていて、それがとても気持ちいい。
短編小説のような30分2本立てが新鮮
岸田家の暮らしがテクノロジーに感化されていないように、音楽で臨場感を煽るとか、スリリングな画面が織り込まれるとか、作品もまたテクノロジーに依存していない。役者陣の演技力が活かされている作品とも言えるだろう。視聴者を会話にグイグイを引き込んでいく空気づくりがみごとなのだ。
のれんに魔法瓶、ラジオにカレンダー、築古の家屋は「レトロでちょっとおしゃれでしょ」を排除した心意気。家族の暮らしが根付いていて、スタッフの技術も光っている。台所の小さなテーブルに椅子2つは私にとっての憧れのスペースだ。アップの切り替えではなく、途切れることなく会話がしっかり流れていく臨場感と阿吽の呼吸は、まさに家族の風景である。深追いせず、余韻を残す30分2本立ては、短編集を見ているようで心地いい。
ホームドラマは狭い世界を描いているように見えるが、その奥行きを生み出す技術や完成度の高い会話劇はプロの実力があってこそ。この時代に生まれた『俺の話は長い』の粋な試みは大成功と言えそうだ。