平成のスイーツブームのグローバル化&細分化の変遷と背景

1987年にデパ地下のスイーツブランドとして誕生した「シーキューブ」でも、「ティラミス」が大人気となった。現在は「ティラミスL」として、生菓子を販売する店舗、又はオンラインショップで購入可能。

1987年にデパ地下のスイーツブランドとして誕生した「シーキューブ」でも、「ティラミス」が大人気となった。現在は「ティラミスL」として、生菓子を販売する店舗、又はオンラインショップで購入可能。

平成のスイーツブームは、平成2年(1990年)に注目された「ティラミス」から始まったと言われる。これ以降、次は何が流行るかという話題を、メディアが競って取り上げるようになる。

海外発の日本初上陸店オープンなど、メディアが紹介して行列が行列を呼ぶという構造は昭和時代にもあったが、それが常に求められるようになったのが、平成時代の大きな特徴と言える。

昭和60年、大阪キタでDCブランドのセールに並ぶ人々 写真:読売新聞/アフロ

昭和60年、大阪キタでDCブランドのセールに並ぶ人々 写真:読売新聞/アフロ

 

「ティラミス」や、それに続く「クレームブリュレ」のブームは、雑誌『Hanako』の特集から始まったと言われるが、昭和63年(1988年)に創刊された『Hanako』の創刊時のキャッチフレーズは、「キャリアと結婚だけじゃ、イヤ」。当時、20代であった昭和34~39年(1959~1964年)生まれの女性達を称し、後に「『Hanako』世代」という言葉も生まれたが、雑誌からの情報収集を怠りなく、ブランド物のショッピング、グルメ、海外旅行など、積極的な消費意欲や行動力を発揮した世代と評されている。

平成のスイーツブームも、このような気運と連動しており、80年代の女子大生ブームや1986年より施行された「男女雇用機会均等法」による、女性の社会的進出も背景となっている。

昭和64年、成田空港。年末年始を海外で過ごし帰国した人であふれかえる到着ロビー 写真:読売新聞/アフロ

昭和64年、成田空港。年末年始を海外で過ごし帰国した人であふれかえる到着ロビー 写真:読売新聞/アフロ

 

折しも世の中は、平成3年(1991年)2月まで続いたと言われる「バブル景気」の恩恵を受けた時代の終盤。日本人の海外旅行者数は、平成2年に初めて年間1千万人を超え、その中でも、週末を活かして気軽に行ける中国・韓国・タイといった「アジア」地域への旅行者の伸び率が目立っていた。

平成は、「嗜好の細分化」に対応していった時代であり、それは、海外旅行の人気筋が、欧米の有名都市を巡るパックツアーよりも、自分のペースで楽しめる個人旅行にシフトしていくこととも共通している。
 

アジアンスイーツ、ヨーロッパの「地方」スイーツが上陸

たとえば、「ティラミス」や平成6年(1994年)頃に流行った「パンナコッタ」は、イタリア生まれ。平成3年に注目された「クレームブリュレ」はフランスのデザートだが、その後は、平成4年の「タピオカ」、平成5年の「ナタデココ」、平成11年の「エッグタルト」、平成14年「マンゴープリン」など、アジア発の甘味にも続々と目が向けられる。

関西でブレイクし平成9年(1997年)頃から東京でも行列を成すようになった「ベルギーワッフル」は、正確に言えばベルギーの首都ブリュッセルではなく、南東部の都市リエージュに見られるスタイルだった。当時は「ベルギー」と一括りにされたが、その後、平成24年(2012年)にはブリュッセルの老舗菓子店が日本に初出店し、それぞれのワッフルの違いもクローズアップされた。

銀座の「ビゴの店 ドゥースフランス」にも、「カヌレ」を求める行列ができた。「ビゴ東京」代表取締役社長の藤森二郎氏は、「雑誌の取材を受けて、次はきっとこれが流行ると答えた」当時を記憶しているという。

銀座の「ビゴの店 ドゥースフランス」にも、「カヌレ」を求める行列ができた。「ビゴ東京」代表取締役社長の藤森二郎氏は、「雑誌の取材を受けて、次はきっとこれが流行ると答えた」当時を記憶しているという。

このような訴求の深化は、日本から見て「西洋菓子の本場」として一目置かれるフランス菓子においても同様に見られ、平成8年(1996年)の「カヌレ」はボルドー地方、平成10年の「クイニーアマン」はブルターニュ地方など、地方特有の伝統菓子に新たなブームを求めるようになる。

これは、フランス・パリでも既に始まっていた現象で、現代の菓子業界を牽引するピエール・エルメ氏のような人物が、パリでもほとんど知られていなかった地方の菓子を取り上げることで、ブームのきっかけとなった。「カヌレ」などは、その代表的な例の一つだ。
 

アメリカ発のスイーツが人気に

平成18年、新宿に日本第1号店がオープンし話題となった「クリスピー・クリーム・ドーナツ」。看板商品「オリジナル・グレーズド®」を12個入りダズンボックスでまとめ買いする姿が目立った。

平成18年、新宿に日本第1号店がオープンし話題となった「クリスピー・クリーム・ドーナツ」。看板商品「オリジナル・グレーズド®」を12個入りダズンボックスでまとめ買いする姿が目立った。

さらに、平成後半にはアメリカ発スイーツの人気が高まった。平成18年(2006年)に「クリスピー・クリーム・ドーナツ」日本1号店がオープンし、コンビニ各社も参入して“戦争”と言われるまでの市場競争に至った「ドーナツ」。
平成22年にハワイから日本初上陸をはたしたEggs ‘n Things(エッグスンシングス)。 写真:アフロ

平成22年にハワイから日本初上陸をはたしたEggs ‘n Things(エッグスンシングス)。 写真:アフロ

平成22年(2010年)以降、ハワイ発のブランドに行列が出来るなど、特に表参道・原宿エリアの激戦区が度々メディアでも取り上げられた「パンケーキ」。平成25年に登場したオイル不使用のヘルシーさを謳う「グルメポップコーン」。平成27年頃から続々と日本市場入りする、アメリカの西海岸エリアなどで生まれたチョコレート製造のクラフトショップによる「ビーントゥーバーチョコレート」など。

かつては、「アメリカのお菓子は大味で甘すぎて日本人好みではない」と一括りに評価されがちだったが、例えばサンフランシスコやバークレー、ポートランド、シアトルといった西海岸の都市のように、近年、食の分野での評価が高まってきたエリアも多く、オーガニックや健康志向も強まり、アメリカの食文化に改めて目が向けられるようになったのである。
 

「デパ地下」ブームとスイーツブームの連動

百貨店が立ち並ぶ銀座4丁目の交差点

百貨店が立ち並ぶ銀座4丁目の交差点

もう一つ、別の見方をしてみよう。実は、平成初期のスイーツブームは、「ティラミス」に続き、平成3年(1991年)の「クレームブリュレ」、平成4年の「タピオカ」など、元々は、飲食店で提供するデザートから始まっている。

現在、再ブレイクしている「タピオカ」は、テイクアウト可能なカップ入り「タピオカミルクティー」が主流だが、当時、話題となったのは、タイ料理レストランなどでデザートとして食べられる「タピオカ入りココナッツミルク」であった。

■「外食」から「中食」へ
外食業界での人気を受けて、多くの菓子専門店が、テイクアウトできる仕様にアレンジして発売。さらにナショナルブランドの大手メーカーがチルドデザート品として開発し、コンビニエンスストアやスーパーに並ぶカップデザートとしても見られるようになり、裾野が広がっていく。

その後のバブル崩壊期を経て、時代は「外食」から「中食」支持へと変化していく。スイーツの世界では、平成5年(1993年)頃にブームが起きた「ナタデココ」に、ターニングポイント的な特徴が見られる。「ナタデココ」は、大手ファミリーレストランがデザートに採り入れるなどして注目される一方で、業務用製品として開発されたものが一般家庭用に小売りされるようになり、家庭のデザートとして楽しむ傾向が強まった。

■デパ地下が女性にとって身近な存在に
完全に調理された惣菜だけでなく、野菜を蒸したり焼いたりした「半調理品」も人気 写真:読売新聞/アフロ

完全に調理された惣菜だけでなく、野菜を蒸したり焼いたりした「半調理品」も人気 写真:読売新聞/アフロ

このような変化の中で、「デパ地下」は、女性の社会進出に伴い、ターミナル駅周りで惣菜などを買って帰れる利便性が支持されると共に、スーパーやコンビニにはない高級感のある本格的な味を、外食よりも手頃な価格で買える場として、人気を増していく。

菓子売り場の需要の変化も顕著で、昭和時代には、日本の伝統的な贈答文化に支えられてきたが、平成は「ご褒美スイーツ」として自家需要が増え、常に新しく魅力的なスイーツを発信することが、女性客を牽引する重要なファクターとなった。

■東急フードショーがオープン 
平成12年、渋谷の東急百貨店東横店の地下1階に「東急フードショー」がオープン。「食」を「ファッション」として捉え直し、「エンターテインメント性」を意識した「食のテーマパーク」として、地下食品売り場をリニューアルした。

平成12年、渋谷の東急百貨店東横店の地下1階に「東急フードショー」がオープン。「食」を「ファッション」として捉え直し、「エンターテインメント性」を意識した「食のテーマパーク」として、地下食品売り場をリニューアルした。

ところで、現在、コンビニエンスストアの24時間営業の短縮営業が話題になっているが、百貨店の営業も、かつては毎週定休日があり、夜も18時台や遅くとも19時には閉店するのが当たり前だった。これが変化したのは、地元の個人商店を保護し共存することを目的とした、「大規模小売店舗法」が平成6年(1994年)に運用基準緩和、次いで平成12年に廃止された影響が大きい。

こうして百貨店およびデパ地下は、年間の休業日もごくわずかとなり、営業時間も延長していく。このような背景を受けつつ、平成12年には、渋谷の東急百貨店東横店地下1階食品売り場に「東急フードショー」がオープン。この頃から「デパ地下」という言葉もメディアによって喧伝され、一般に普及していった。

ちなみに私が、テレビ東京で放映されていた『TVチャンピオン』という番組の「デパ地下グルメ女王選手権」で優勝したのは、平成14年(2002年)のことだ。私自身、母親に連れていってもらう「デパ地下」の華やかなスイーツに心惹かれる子供時代を過ごし、社会人となってからは、自家用やギフト用のスイーツを買うのが楽しみだった。

■エキナカが大宮、品川に
その後、平成17年(2005年)にJR東日本グループによる「エキナカ」の商業施設「エキュート大宮」「エキュート品川」が開業。「ルミネ」などの駅ビル型ショッピングセンターも人気スイーツ店の誘致に力を入れるなど、相次いで競合が登場したことで、「デパ地下」ブーム自体は一段落するが、スイーツを前面に掲げての開発競争は現在も続いている。
 

「リーマンショック」がスイーツ業界に与えた影響とは

平成20年(2008年)9月に起きた「リーマンショック」。この出来事は、スイーツ業界にも多大な影響を与えた。

■ロールケーキが一大トレンドに
東京にも平成19年に店舗がオープンし、ロールケーキブームを牽引した大阪発「モンシェール」の「堂島ロール」。現在でも銀座三越、日本橋三越本店で購入できる。

東京にも平成19年に店舗がオープンし、ロールケーキブームを牽引した大阪「モンシェール」の「堂島ロール」。現在でも銀座三越、日本橋三越本店で購入できる。

ここから注目されるのは、「シンプルスイーツ」とカテゴライズされるもの。特にそれを象徴するのが「ロールケーキ」である。それ以前、ロールケーキと言えば、様々なフルーツを巻き込むなど、断面も華やかなタイプのものが人気だった。

しかし、これに先立ち平成19年に、大阪「モンシェール」の「堂島ロール」が東京に進出。「ひと巻ロール」とも呼ばれる、周囲をぐるりと1周だけ生地で包み、中身はたっぷりの生クリームのみというシンプルなスタイルが注目を浴びた。銀座三越や日本橋三越本店に店舗があり、常に行列が出来るようになる。

外側に飾りのないシンプルなロールケーキは、持ち歩いても崩れにくく、1個ずつのケーキを買うのに比べ、その場の人数に合わせて切り分けられるため、無駄がなく合理的でもある。そのように、時代が、より本質を追求した「シンプルスイーツ」を求め、価格面でも、手頃でいて手土産として遜色のないものを評価するようになったのだ。

平成21年(2009年)に「ローソン」から発売され、コンビニスイーツ業界最大のヒット商品となった「プレミアムロールケーキ」も、この「ひと巻ロール」タイプであり、さらに1人分の個食を横倒しにしたパッケージ、スプーンで食べるといった斬新な食べ方提案が話題となった。
平成21年3月に「アンリ・シャルパンティエ」から発売された「シルキー・ロール」(現在は販売終了)。スポンジ生地と生クリームのシンプルな構成の中で、名前のとおり、絹のようになめらかで、ふんわり軽い口どけにこだわった。

平成21年3月に「アンリ・シャルパンティエ」から発売された「シルキー・ロール」(現在は販売終了)。スポンジ生地と生クリームのシンプルな構成の中で、名前のとおり、絹のようになめらかで、ふんわり軽い口どけにこだわった。

この時期、私の中で印象的だったのは、デパ地下の人気ブランド「アンリ・シャルパンティエ」が、平成21年3月に、ロールケーキをリニューアルしたことである。それ以前は、上に生クリームやフルーツを飾ったデコラティブなロールケーキが販売されていたが、当時、新たに発売されたものは、見た目もかなりシンプルで、こだわりの生地ですっきりとした生クリームと、アクセントとしてギモーブを巻いたのみ。長さ17cmで税込1000円以下という価格も驚きだった。  

■バームクーヘン、ラスク…「おやつ系」の台頭
「クラブハリエ」は1979年に誕生し、20年後、大阪の百貨店に「バームクーヘン」専門店「B-studio」を出店。平成13年、関東初出店となる「B-studio日本橋三越店」をオープン。平成のバウムクーヘンブームの先駆けとなった。

「クラブハリエ」は1979年に誕生し、20年後、大阪の百貨店に「バームクーヘン」専門店「B-studio」を出店。平成13年、関東初出店となる「B-studio日本橋三越店」をオープン。平成のバウムクーヘンブームの先駆けとなった。

「シンプルスイーツ」を紐解くと、もう一つの特徴が挙げられる。平成13年(2001年)、関西発の洋菓子ブランド「クラブハリエ」が「バームクーヘン専門店」を都内の百貨店にオープン。それ以降もゆるやかにブームが続く「バウムクーヘン」に始まり、平成18年「ドーナツ」、平成19年「ラスク」、平成21年「生カステラ」、平成22年「パンケーキ」など、この時期にブームとなったスイーツは、小麦粉を使ったお腹にたまる品が目立ち、いわゆる「コナモノ系」とまとめられるものが多いのだ。

これらは、食後のデザートというよりも、単品でしっかり満足感を得られるという意味で「おやつ系」とも言われ、男性からも支持率が高い。誰もが食べやすい味で、性別年代を問わず「家族全員が楽しめる」ということも、キーワードとなっている。

■そして311、スイーツが人と人を繋ぐ
平成23年(2011年)3月11日、東日本大震災が日本を襲う。この未曾有の大災害により、スイーツ業界は、直後のホワイトデーなど一時的にかなりの売り上げの落ち込みを経験するが、その後は、買い控えよりもむしろ好調な回復傾向となり、結局は前年対比を上回ったという声が多く聞かれた。

「家族や友達と一緒に過ごす時間や、人との絆を大切にしたい」という思いが高まったことで、スイーツがそのきっかけや繋ぎ役として求められたのだと言えるだろう。
「株式会社BAKE」の「BAKE CHEESE TART」は、現在では日本国内のみならず海外にも複数店舗を展開。看板商品の「焼きたてチーズタルト」は、定番味以外に期間限定フレーバーも登場する。

「株式会社BAKE」の「BAKE CHEESE TART」は、現在では日本国内のみならず海外にも複数店舗を展開。看板商品の「焼きたてチーズタルト」は、定番味以外に期間限定フレーバーも登場する。

「シンプル回帰」の流れは、焼きっぱなしのシンプルな「ベイク系」人気へと繋がり、雑誌などでも特集ページが組まれ、平成20年代以降、焼き菓子専門店も数多く開業している。生菓子に比べ、売れ残ってロスになることが少ない焼き菓子は採算性も高く、オーナーが1人で製造も販売もこなすこぢんまりとした店舗も多い。時代は、何でも売っているオールラウンド店ではなく、商品を絞り込んだミニマリズム支持へと移っていく。

そんな専門店業態を代表する「株式会社BAKE」の「BAKE CHEESE TART」が東京都内にオープンしたのは平成26年。商品を「焼きたてチーズタルト」1種類のみに絞り、焼き上げる様子が外から見える工房一体型店舗で、瞬く間に大人気となった。このブランドを皮切りに、アップルパイ専門店、ガトーショコラ専門店などの新業態店舗が、グループブランドとして続々と誕生している。
 

平成のスイーツブームとパティシエブームとの連動

平成時代に「パティシエ」という職業が注目されるようになったことも、スイーツブームを後押しした。消費者が、ブランドのストーリー性や作り手のこだわりなど、より深い情報を求める傾向が圧倒的に強くなったとも言える。

TV番組『料理の鉄人』が放映されたのは平成5~11年(1993~1999年)のこと。料理人やパティシエがメディアに登場し、広く認知されていった。中でも、華やかなケーキを手掛けるパティシエは、今や子供達の憧れの職業の一つとなっている。

■常に時代の最先端をいく、辻口博啓氏
平成10年、自由が丘にオープンしたパティスリー「モンサンクレール」に始まり、「自由が丘ロール屋」「ル ショコラ ドゥ アッシュ」「和楽紅屋」など複数のブランドを手掛け、平成のパティシエブームを牽引してきた辻口博啓シェフ。

平成10年、自由が丘にオープンしたパティスリー「モンサンクレール」に始まり、「自由が丘ロール屋」「ル ショコラ ドゥ アッシュ」「和楽紅屋」など複数のブランドを手掛け、平成のパティシエブームを牽引してきた辻口博啓シェフ。

平成10年(1998年)3月、自由が丘に「モンサンクレール」をオープンした辻口博啓氏は、昭和42年生まれ。平成を代表する人気パティシエの1人だ。

平成14年8月、伊勢丹新宿店に、「マ・パティスリー」という売り場がオープン。週替わりで人気菓子店が催事出店するもので、リニューアルを経て現在も続く人気の企画売り場だ。その初回に満を持して出店した2店のうちの1つが「モンサンクレール」だったことを、今でもよく覚えている。

そんな辻口氏が菓子制作の指導に携わったNHKドラマ連続テレビ小説『まれ』が放映されたのは平成27年(2015年)。パティシエを目指す主人公を土屋太鳳さんが演じて話題に。この時期、漫画やドラマの世界でも、パティシエやショコラティエを主人公とする作品が増え、それだけ身近な存在となったことが感じられる。

次々と新たなブームを求められるスイーツ業界において、試行錯誤を重ねる商品開発担当者や流通関係者は、時代の最先端をいくパティシエ達の動きを常に追いかけている。

たとえば辻口氏は、メーカーと共同で独自に開発した米粉を使った菓子や、和素材を使い、和洋が融合した菓子を、早くから提案してきた。また、近年では「低糖質」のスイーツ開発にも取り組んでいるが、このような動きをトレンドの萌芽としてキャッチし、採り入れようとするメーカーも少なくない。

■老若男女を問わずファンが多い、鎧塚俊彦氏
平成16年、恵比寿にパティスリー「トシ・ヨロイヅカ」(現在はチョコレート専門店「Yoroizuka EC」としてリブランド)をオープンした鎧塚俊彦シェフ。スペシャリテの「クレーム・ピスターシュ」は現在も人気商品の1つ。

平成16年、恵比寿にパティスリー「トシ・ヨロイヅカ」(現在はチョコレート専門店「Yoroizuka EC」としてリブランド)をオープンした鎧塚俊彦シェフ。スペシャリテの「クレーム・ピスターシュ」は現在も人気商品の1つ。

平成16年(2004年)9月には「トシ・ヨロイヅカ」がオープン。オーナーシェフの鎧塚俊彦氏は昭和40年生まれ。ヨーロッパ各国で修業した後、帰国して開業した。

鎧塚氏のスペシャリテとしてTVでも取り上げられたピスタチオのお菓子が大ブレイクして、一時期、入手困難になったほどだ。昔はおつまみのナッツ程度にしか知られていなかったピスタチオを、スイーツの素材として広く知らしめたと言われる。

鎧塚氏の店に並ぶ行列の中には、男性客が多かったことも特徴の一つで、「スイーツ男子」という言葉が生まれたように、この頃から、スイーツを味わうことは、性別や年齢を問わず、大人も楽しめる食文化、嗜みとして捉えられるようになっていった。
スーツ、ワイシャツをはじめ、全フロアに紳士物が並ぶ、伊勢丹メンズ館 写真:読売新聞/アフロ

スーツ、ワイシャツをはじめ、全フロアに紳士物が並ぶ、伊勢丹メンズ館 写真:読売新聞/アフロ


市場においても、伊勢丹新宿店のメンズ館が平成15年(2003年)9月にオープン。男性も衣・食・住への関心を高め、様々な情報を欲するようになっていた。男性誌もスイーツやお取り寄せグルメの特集を組むようになり、現在でも人気コンテンツとなっている。

同時に、物が溢れる時代となって、売り場は、「モノよりコト」のライフスタイル型提案へと変わっていく。スイーツに関しても同様で、単に流行り品を買って食べることにとどまらず、それについて人よりも詳しく知っていることをステイタスとする傾向が強い。まずは蘊蓄や情報が求められるようになったのである。
 

媒体の変化~「雑誌」「TV」から「インターネット」「スマホ」へ

スマホの普及で情報は個人も自ら発信する時代に

スマホの普及で情報は個人も自ら発信する時代に

平成年間に、ブームを発信する媒体構造は激変した。私が平成27年・28年(2015・2016年)に出演したTBS『マツコの知らない世界』で「クリスマスケーキ」「埼玉スイーツ」をテーマに紹介した際、放映後は各店に多大な反響があり、TVの影響力はまだまだ大きいと感じられた。

■『Hanako』が月刊誌に
しかしながら、平成初期にスイーツブームを発信してきた雑誌『Hanako』は、昨年10月に、隔週誌から月刊誌へと切り替わった。

平成の前半期には、インターネットの普及が急速に進み、情報拡散の図式が大きく変わった。平成17年にサービス開始した「食べログ」など、飲食店のクチコミ評価サイトも、スイーツ情報の検索で閲覧され、参考にされることが多い。

平成の後半期は、何と言っても携帯電話、さらにスマートフォンが広く普及。また、平成16年(2004年)にmixi、2年後の18年に日本語版のTwitter、さらに20年に日本語版のFacebookが立ち上がるなどコミュニケーションネットワークとSNSサービス利用者が一気に増加したのも、この時期である。

■そして「インスタ映え」
 平成29年の流行語大賞には「忖度」「インスタ映え」が選ばれた 写真:西村尚己/アフロ

 平成29年の流行語大賞には「忖度」「インスタ映え」が選ばれた 写真:西村尚己/アフロ

それらのコミュニティの中でも、話題のスイーツが取り上げられ、シェアされることで加速度的に広まっていく。特に、平成26年(2014年)にInstagram日本語アカウントが開設されて以降、いわゆる「インスタ映え」するスイーツがより注目を集めるようになった。

一個人が自由に発信できる時代となり、芸能人やモデルなど「インフルエンサー」と呼ばれるカリスマ的なトレンド発信者が支持され、そこからブームが生まれ得る現代。マーケティングにおいても、新商品や新店舗のプロモーションのため、「インフルエンサー」を招待して試食・体験してもらうというのは、既にごくありふれた手法となっている。
 

「令和」スイーツの方向性とは?

『BRUTUS』の表紙を飾った「パティスリー1904(デイズヌフソンキャトル)」の「しまなみレモンケーキ」は、平成30年2月1日より発売された日本郵便のグリーティング切手「スウィーツ」の図案にもなった。

『BRUTUS』の表紙を飾った「パティスリー1904(ディズヌフソンキャトル)」の「しまなみレモンケーキ」は、平成30年2月1日より発売された日本郵便のグリーティング切手「スウィーツ」の図案にもなった。

新元号「令和」が始まるにあたって、新時代のスイーツは、何が、どのようにブームとなっていくのだろうか?

今、かつて平成初期に流行った「タピオカ」が、ドリンクスタイルの第二次ブーム、トータルでは第三次ブームとして再燃している。また、昭和40年代にブームとなった「レモンケーキ」が、平成27年(2015年)に再ブレイク。雑誌『BRUTUS』の「最高のおやつ」特集で表紙を飾ったのは、今の時代にマッチした、アメリカンレトロポップなパッケージが印象的なレモンケーキだった。

平成のレモンケーキは、単にレモンの形をしているだけではなく、レモン果皮や果汁を使い、より本質重視の傾向が強まっているのが特徴である。

数年前に、駄菓子屋の要素を採り入れた居酒屋がヒットしたように、食の業界には、昔懐かしいものに回帰するレトロブームのニーズが常にある。世界最先端のレストランでも、クラシックな料理やデザートの構成要素を一度バラバラにして、新たな形で「再構築」するといった手法を採ることがよくある。

新しいものが求められるからと言って、誰も見たことがない突飛なものがトレンドになるのかというと、そういう訳ではない。「懐かしいもの、伝統的なもの」は、一巡してトレンドとなり得るポテンシャルを秘めている。ブームになるスイーツというのは、コアなファンだけでなく大勢に支持される必要があり、味のイメージができて安心感がありつつ、これまでとは異なる何らかの新しい付加価値が加わったものなのである。
株式会社グレープストーンが手掛ける皿盛りデザート専門店「銀座ぶどうの木」と、雑誌『Hanako』とのコラボで誕生した「喫茶店に恋して。」は、「喫茶と本」をテーマとした新たなスイーツブランド。第一弾商品として「ティラミスショコラサンド」を発売。

株式会社グレープストーンが手掛ける皿盛りデザート専門店「銀座ぶどうの木」と、雑誌『Hanako』とのコラボで誕生した「喫茶店に恋して。」は、「喫茶と本」をテーマとした新たなスイーツブランド。第一弾商品として「ティラミスショコラサンド」を発売。

今年4月19日、「銀座ぶどうの木」と雑誌『Hanako』とのコラボによる新ブランド「喫茶店に恋して。」が、JR東京駅グランスタにオープン。

第一弾商品として、かつて、「Hanako」がブームのきっかけとなった「ティラミス」をモチーフに、「ティラミスショコラサンド」という焼き菓子仕立ての商品を発売。ショコラのクリームにはマスカルポーネも練り込んであり、このような展開の仕方も「再構築」の一例だと言える。
 
現代において、かつての「ティラミス」のように、一世を風靡する規模のスイーツブームは起こりづらい。それはまさに、平成の31年間を通じ、世界中から流入する情報量が莫大に増え、消費者の関心や好みが細分化してきたためだ。

海外から日本に初上陸するブランドがあれば、その都度、話題にはなるだろう。「令和」時代となっても、「インスタ映え」するスイーツの人気が続くことも想像できる。

ただ、これまでの変遷からわかるとおり、スイーツのブームは移り変わりが激しい。となれば、初めから、常設店ではなくポップアップショップとしてオープンしたり、次々とコラボ展開をしたりと、従来の常識に捉われない新業態のスイーツ店も登場していくだろう。今後のスイーツのトレンドは、商品そのものだけでなく、売り方やPRの仕方も含めたトータル戦略により広まっていくと考えられる。

■健康志向から「超低糖質スイーツ」も
「株式会社ヨックモック」が平成31年3月に発表した新ブランド「わたしときどきCookie」は、「仕事や家事に一生懸命な女性の心をほっと満たし、いきいきとした暮らしをそっと支える」という「ウェルネス」を意識したコンセプト。4月1日より公式オンラインショップで第一弾商品「グラノーラ」クッキーと「いちじく」クッキーを販売開始した。

「株式会社ヨックモック」が平成31年3月に発表した新ブランド「わたしときどきCookie」は、「仕事や家事に一生懸命な女性の心をほっと満たし、いきいきとした暮らしをそっと支える」という「ウェルネス」を意識したコンセプト。4月1日より公式オンラインショップで第一弾商品「グラノーラ」クッキーと「いちじく」クッキーを販売開始した。

大きな流れで言えば、健康志向が強まる中、老舗菓子店や大手メーカーも、効能表示が可能な「保健機能食品」の手前で、あくまで嗜好性を主なコンセプトとしながらも、全般的な健康性をイメージさせる「ウェルネス菓子」の分野に踏み出している。「低糖質スイーツ」を超えた、さらなる「超低糖質スイーツ」を謳うブランドも登場している。

■海外の人からも受け入れられるスイーツに
常に多くの外国人観光客でにぎわう浅草・雷門 写真:つのだよしお/アフロ

常に多くの外国人観光客でにぎわう浅草・雷門 写真:つのだよしお/アフロ

東京五輪開催を翌年に控え、海外輸出を睨む菓子メーカーも増えている現在。この数年、海外からの訪日観光客が増え続け、昨年はついに3000万人を超えた。一時期、インバウンド需要で「抹茶スイーツ」が土産に人気だと、デパ地下の菓子売り場の店頭などでも、抹茶味のスイーツが目立っていたほどだ。

だが、今後さらに訪日客が増え、日本のスイーツが世界に広まっていくと予想される中、求められているのは、より、「心身の健康」を目指した提案である。

世界各国には、ヴィーガンやグルテンフリー、ハラルなど、それぞれの思想や宗教に基づき、食に関する様々なニーズがある。日本は、これらに対応する経験がまだ浅く、オーガニック志向への対応も、欧米各国に比べて遅れている。

平成末に、罪悪感無く食べられるという意味の「ギルトフリースイーツ」という言葉が生まれ、トレンドとして取り上げられたが、日本では単に、「ローカロリー、低糖質で太りにくい」といった狭い意味に捉えられがちな面がある。

■スイーツもエシカルがコンセプトに
平成26年に誕生した日本発の「ビーントゥーバーチョコレート」ブランド「Minimal」でも、世界中から品質の高いカカオ豆を厳選して仕入れる中で、生産者との関係を強化。カカオ豆の発酵や乾燥によるチョコレートの味の違いを体験してもらい、共に品質の向上に取り組む。

平成26年に誕生した日本発の「ビーントゥーバーチョコレート」ブランド「Minimal」でも、世界中から品質の高いカカオ豆を厳選して仕入れる中で、生産者との関係を強化。カカオ豆の発酵や乾燥によるチョコレートの味の違いを体験してもらい、共に品質の向上に取り組む。

フェアトレード、サスティナビリティなどを意識した「エシカル消費」を支持する動きも、さらに進むだろう。

たとえば、カカオ豆からチョコレートまでの工程を自家製で手掛ける「ビーントゥーバーチョコレート」のブランドなど、貧困と隣り合わせにあるカカオ生産国の生産者達との関係を深め、栽培や発酵の技術指導を行い、彼らの生活を保障しながら高品質のカカオ豆を生産してもらうことを目指す企業も増えている。

このような傾向は、大手菓子メーカーや、業務用の原材料を提供するチョコレートメーカーにも共通しており、未来に向けて必要な「エシカル」な思想に基づくスイーツの一例と言える。
 
目まぐるしく流行り廃りを重ねた「平成」のスイーツブームを振り返り、今、「令和」という時代に求めたいスイーツの方向性とは何か?

それは、見栄えが面白いとかこれまでに無いということよりも、広い意味で、「食べることで皆が幸せになる」と感じられるもの。思想のうえで共感できる、Win-Winなスイーツであってほしい。

これからも世に登場するであろう様々なスイーツ達が、果たしてその資質を持っているのかどうか、しっかりと見極めていきたいと思う。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
※メニューや料金などのデータは、取材時または記事公開時点での内容です。