年金だって健保だって、いざ廃止されたらどうなる?
また、公的年金や健康保険について、世代間の負担と受給を比較して「損得」を語る傾向も不可解です。仮に、現役世代の不公平感を解消すべく、国の年金制度が廃止されるとしましょう。その場合、稼ぐ力が衰えた親の面倒は誰が見るのでしょうか?
健康保険にしても、高齢者の受益に対して現役世代の負担が重すぎるという理由で廃止されたとしたら、親の医療費等を子供が全額負担できるでしょうか? 制度の廃止は極論だとして、高齢者の負担を上げる場合であったとしても、親の財力によっては、子供にそのしわ寄せがいくでしょう。
このようなことを考えると、試算上、年金受給額が年金保険料総額を下回る人も、健康保険の受給額が保険料総額に届かない人でも、単純に「損をする」とは言えないのではないでしょうか。
合理的でメリハリのある制度運営はできないのか
実際、社会保障に関する書籍等を読むと、先進国の中でも日本は国民の受給に対する負担が軽い国であることがわかります。さらに手厚い受給を望む人は、より大きな負担を受け入れる必要があるはずです。筆者が望むのは、より合理的な制度の運営です。たとえば、公的年金も社会“保険”なのだから、一定の年齢に到達した時点で給付を行うようなことはやめればよいと思います。現役世代以上に稼ぐ高齢者もいるからです。健康上の理由などで仕事に就けない人のためのセーフティーネットは不可欠であっても、高齢者が増える中、十分に自活できる人にまで給付していたら、財源が不足していくのは当然です。
健康保険にしても、風邪で保険がどんどん適用されるような運用ではなく、大病や難病は十分に保障する一方で、休養に努めれば治るような病気は保障の対象にしない、たとえばそんなふうに、運用にメリハリをつけてほしいと思うのです。
受給と負担の関係を考えれば、本当に必要な保障が見える
ここまで、国の制度について字数を費やしてきたのは、民間の保険や共済に関しても、あらためて「受給と負担の関係」を考えることで、望ましいあり方が見えてくると思うからです。まず留意したいのは、保険や共済の運営にかかる費用の問題です。「負担-費用=受給」だからです。加入者がお金を出しあい、不測の事態に備える仕組みは素晴らしいものでも、その利用価値は、費用の多寡に大きく左右されるのです。
現状、民間の保険では、代理店手数料やその他「契約に要する費用」が把握できません。保険会社にとって都合が悪い情報だからでしょう。そこで「手数料がわからないATMを利用するだろうか」と自問してみましょう。お金の流れが不透明な仕組みは、子育て中の世帯主の急死のように、緊急かつ重大な事態への備えに限定して利用することになるはずです。それが、保険との正しい関わり方なのです。
お金の流れがわかりやすいのは「都道府県民共済」だと思います。決算情報から、掛け金の80%超が各種給付金と(剰余金の)割戻金として加入者に還元されていることが確認できます。
いままでの記事でも触れてきたように、掛金の還元率は、規模の拡大に伴い向上しています。また、掛金を据え置いたまま商品改訂を繰り返してきた(これは事実上の値下げです)ことなどから、相対的に民間の保険より良心的な運営がなされていると評価できると思うのです。
ただし、疑問もあります。これは民間の保険にも言えることですが、入院1日目からの給付金の有無などが、生活にどれほど影響を与えるでしょうか。どんな受給にも負担が伴うわけです。社会保険料に加え、税金による補てんもなされ「受給>負担」となっている国の制度と違い、民間の制度では運営機関の費用がかかるぶん、「受給<負担」が原則です。
そうであれば、受給要件の厳選が望まれるはずです。その際、誰もが加入している健康保険の保障内容を前提にすると、過不足が少ないかもしれません。
健康保険には「高額療養費制度」があります。健康保険の対象になっている医療を受ける場合、1ヶ月の自己負担額にあらかじめ上限が設けられているため、平均的な収入の人であれば9万円程度に収まります。
にもかかわらず、民間の保険や共済では、入院・通院・手術など「医療費の使い道」により、受給要件が分けられています。最終的に自己負担を求められる金額のみ補てんされるほうが、わかりやすく理に適っているのではないでしょうか。健康保険では、高齢者の自己負担額が相対的に低いことも好都合でしょう。
一般の方たちには、短期入院保障など「お金がもらいやすい商品」を好む傾向があります。気持ちはわからないでもありません。しかし、受給が発生しやすい分、負担も増えるのです。賢明な読者の皆さんには、国の保障制度はもちろん、勤務先の諸制度等もお調べになったうえで、本当に必要な保障を見極めていただきたいと思います。
※この記事は、掲載当初協賛を受けて制作したものです。