心臓・血管・血液の病気

重症心不全の治療にも…iPS細胞による心臓再生医療

【心臓血管外科医が解説】ES細胞に似た性質を持つ「iPS細胞」を用いた心臓再生医療の臨床研究が、ついに始まろうとしています。これまでの心臓再生医療では、下肢の筋肉内の種細胞が使われていましたが、いよいよ心筋細胞を用いた治療が現実のものになりそうです。新しい治療法の特徴、課題について分かりやすく解説します。

米田 正始

執筆者:米田 正始

心臓血管外科専門医 / 心臓病ガイド

重症心不全の治療にも…心臓へのiPS細胞再生医療

iPS細胞

iPS細胞はES細胞の性質を多く持ち、環境や条件を整えればどんどん増えることができます。網膜にも心筋にも血管にもなれるポテンシャルを持っているのです

報道によりますと、重症心不全の患者さんに対してiPS細胞(アイ・ピー・エスさいぼう)を用いた治療が行えるようになる見込みです。

5年半ほど前に「iPS細胞がどのように患者さんのお役に立つの?」という記事を執筆しましたが、当時予想していた心臓へのiPS細胞再生医療がいよいよ本当に患者さんに使える日が来たということには、感慨深いものがあります。まず最近の報道をご紹介しましょう。
iPS細胞の心筋シート移植、臨床研究を国が大筋了承
朝日新聞デジタル2018年5月16日12時10分

iPS細胞から作った心臓の筋肉(心筋)のシートを、心不全の患者に移植する大阪大のグループの臨床研究について、厚生労働省の部会は16日、計画を大筋で了承した。早ければ今年度中にも移植が始まる見通し。心筋シートはiPS細胞の代表的な応用例で、この計画は今後の再生医療を左右する試金石となる。

iPS、心臓病への応用に一歩前進 難易度高く、課題も

iPS細胞から作った細胞を患者に移植する臨床研究の対象としては、目の難病に続き心臓は2番目。阪大の計画は、血管の詰まりで血液が十分届かないために心筋が傷つく虚血性心筋症が対象となる。

この日の部会では、患者への説明文書などの修正が条件とされた。iPS細胞から作った心筋をシート状にして、3人の患者の心臓表面に移植する予定。1年かけて安全性や心機能の変化を調べる。成功すれば製品化への動きが加速するとみられる。
 

簡単にいうとiPS細胞とは何か……人工的に作ったES細胞

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iPS細胞はこんな形をしています

基本的なことを再度おさらいしておきましょう。iPS細胞とは、ごく簡単に言うならば、人間の体を造る大元の細胞である「ES細胞(イーエス細胞)」を、その人の皮膚やリンパ球などの細胞を元にして人工的に育てたものと言えるでしょう。

iPS細胞は、ES細胞と完全に同じとは断言できませんが、かなり近いものなのです。iPS細胞はその患者さんご自身の細胞であること、つまり細胞移植する場合に拒絶反応がないという大きな利点があります。

iPS細胞はES細胞の性質を多く持っているため、環境や条件を整えればどんどん増えることができます。しかも様々な細胞に分化する、つまり成長していくという力を持っています。iPS細胞は眼の網膜にもなれますし、心臓の筋肉である心筋にも、血管にもなれるポテンシャルを持っているのです。

心臓血管外科医の立場から見ると、患者さんの心臓が壊れてしまった時、iPS細胞をうまく使えば新しく心臓をつくり直すことも可能になる技術だと言えます。
 

ノーベル医学賞を受賞した「細胞を初期化する」技術

iPS細胞を作る手順は非常に専門的な解説が必要になりますが、こちらもごく簡単に解説すると、皮膚その他の細胞に「ヤマナカファクター」と呼ばれる4つの遺伝子を入れ込むことで行います。これによりその細胞は初期化、つまり先祖返りをして、様々な細胞に育つ力を持った若い細胞になるのです。

細胞の初期化は人類が長年努力してもできなかったことで画期的な発見でした。これにより山中伸弥先生が2012年にノーベル医学賞を受賞されたことは、みなさんご存知の通りです。
 

iPS細胞を心臓治療に活用する流れ

心臓治療にiPS細胞を使うためには、まずはiPS細胞を胎児心筋細胞レベルの幼弱な心筋細胞にまで分化させる、つまり育てるところから始まります。

育った幼弱心筋細胞を投与するルートはいくつかあります。かつては注射器で心臓の左心室の壁に直接打つ方法が考えられていましたが、この方法では満遍なくiPS細胞を行き渡らせるという目的にはやや合いません。

そのため現在は、iPS細胞から幼弱な心筋細胞を特別なシャーレ(皿)の中で育てて薄いシート状にし、これを何層かに集めて心臓特に左心室の表面に貼り付ける方法が予定されています。
 

iPS細胞と同じく日本初の先進技術・細胞シートとは

細胞シートという言葉は一般的には全く聞きなれない言葉だと思いますが、文字通り「使いたい細胞で構成されたシート」のことを指します。細胞シートをそのまま目標臓器に貼り付けることで、無理なく細胞を供給できるという利点があります。

シートはシャーレというお皿の中で作りますが、できたシートを剥がす際にかつてはトリプシンというタンパク分解酵素を用いていたため、シートが傷んだり弱ったりすることが課題となっていました。この問題に対して、東京女子医大の岡野光夫教授らが温度感応皿を用いてトリプシンなしできれいにシートを剥がす技術を開発され、以後はシート工学として展開していきました。

今回報道された臨床研究は、iPS細胞と細胞シートという日本発の2つの先進技術の合体であるという点でも、期待が持たれています。
 

既存の骨格筋芽細胞シートとの違い・考えられる優位性

シートを貼り付ける治療法はこれまでにもありました。これまでは「骨格筋芽細胞」という下肢などの筋肉にある種(たね)のような細胞をシート状に育て、それを何層か積み重ね、心臓、特に左室の表面に貼り付けるというものでした。この細胞は増えやすい性質があるため利用されていました。

この治療法も実際に臨床試験が行われ、一定の成果が報告されました。しかし骨格筋芽細胞は見た目には心筋細胞と似ていますが、自然に拍動することはありませんし、心筋細胞の中に入っても周囲の電気刺激を受けての同期した拍動もできません。やはり下肢の筋肉は心臓の筋肉と性質が違ったのです。

このように骨格筋芽細胞シートは心臓の表面でじっとしているのですが、心臓の機能をある程度改善することが報告されています。これは骨格筋芽細胞が分泌するある種のホルモン(サイトカイン)が心臓に役立っていること、そして心臓の表面で筋肉シートが心臓の拡大を抑えてくれるという物理的効果などが原因として考えられています。

これらの点でiPS細胞から作った心筋細胞シートは、理論的には心臓の表面で動力源として動き、電気的にも周囲の心筋細胞と同期して繋がることが期待されています。同じ細胞シートでも骨格筋芽細胞よりもずっと心臓向きの内容を持っているわけです。

これらのことはかつて筆者も参画した胎児心筋細胞移植の実験研究で見られた特長です。つまりiPS細胞は胎児心筋細胞かそれに近い若い心筋細胞を作れる可能性があることから期待が集まっているのです。
 

iPS細胞による副作用・がん化の心配や問題点

iPS細胞はがん細胞になる恐れが僅かながらあると言われています。もともとiPS細胞を作る際に入れ込む遺伝子の中に、がん遺伝子に近いものがあるからです。しかしその後様々な研究がされ、心筋細胞以外の細胞を取り除く努力が進行中で、いずれがん化の恐れは過去のものになるかも知れません。

また心臓の表面に貼り付けた細胞シートが動力源としてどこまで威力を発揮できるか、これも改善の努力が続けられている段階です。細胞シートは大変薄いものでこれを4枚重ねてもなお微々たる厚みなのです。動力源としてどこまで役立つかは今後の課題だと言えるでしょう。8枚、16枚と重ねることでうまく行けばパワーアップすることが期待されますが、厚くなればそれだけの細胞を養う冠動脈の枝が必要となります。これらを合わせて誘導する必要があり、まして左室壁の複雑な細胞と血管の3次元配列を再現する技術は未だないため、今後の研究が待たれます。
 

今後の活用、実用化への大きな一歩

しかしそれでも、iPS細胞の活用によって心筋細胞シートが心臓表面に貼り付けられるというのは、新しい治療法の大きな第一歩になるでしょう。さらにこれまでの心臓外科手術、例えば左室形成術などと併用することで、心臓のパワー不足を多少でも補うことができるようになれば、患者さんにとって福音になるかも知れません。またiPS細胞は患者さんご自身の細胞から作る方法はもちろん、現実に即応してコストを下げ、拒絶反応が起こりにくいタイプの方の細胞から作る「iPS細胞ストック」という方法もあり、実用化がしやすいのです。今後の活用、実用化をぜひ見守っていただければと思います。

■関連サイト
心臓血管外科情報WEBの心筋症・心不全のページ
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