デビュー50周年 常に変化し続けてきた凄み
2017年は沢田研二のデビュー50周年。それにあたり、7月から翌1月まで全国60ヶ所、66公演の記念ツアーをこなすという。70歳前の老アーティストとしては驚異的なスケジュールと動員力だ。沢田研二の凄さは変化し続けていること。ザ・タイガース時代から時代に先立ち、時には時代に逆らってさまざまな変容をとげてきた。声も、音楽性も、ビジュアルも、スタンスも、すべて更新しながらそれでいて"沢田研二"でありつづけてきたこの凄み。
一定の年齢を過ぎたアーテイスト、芸能人の身の処し方は難しい。周囲から求められるものは若い全盛期のイメージ。求めに応じなければ商業的に成立しないので、どこかの時点から過去の自分を模倣しアンチエイジングに追われるはめになる。前進することができなくなってしまうのだ。
沢田にはそれがない。1985年にマネジメント面で独立し、1990年代以降はテレビや大手レコード会社など既存メディアに使われる仕事を極力排除した結果、自由に活動することができる。太ろうが老けようがヒット曲を歌わなかろうが原発廃止を叫ぼうが自由。それで落ちぶれていたら笑いものだが、コンサートツアーをすればいまだに10万人規模の動員があり10代、20代のファンも新たに獲得している。こんなアーティストや芸能人は極めてまれだ。
50周年で50曲!ファン狂喜のヒットメドレーを披露
僕は2017年9月8日、大阪府岸和田市の浪切ホールで開催されたライブを訪れた。大阪市内からは電車で約30分。郊外の、さほど大きいとは言えない岸和田の街は沢田のファンであふれかえっていた。今回のツアーの目玉はヒット曲を中心に、1コーラスずつ、50曲を歌うという構成。ふだん、けっしてヒットメドレー的なライブをしたがらない沢田としては非常に珍しい構成だ。これまで自分を支えてくれたファンに対するご祝儀のようない意味合いだろうか。
ライブは予定の18時半を少し回った頃、これまでの活動を振り返る写真のムービー上映から幕を開けた。京都で過ごした子供時代、仲間と一緒に夢を追ったザ・タイガース時代、芸能界の頂点に上り詰めた70年代、80年代……そして今。
スクリーンが上がり、少し照れくさそうな沢田が歌う一曲目は『あなたに今夜はワインをふりかけ』。1978年のシングル『サムライ』のB面ながら『マンズワイン』(キッコーマン)のCMソングに起用されA面にもひけをとらず大ヒットした曲だ。
ステージ狭しと駆け回りながら
「岸和田でも人気があったんだ!嬉しい!」
などと手短なMCを挟むだけで、栄光の日々の楽曲を次々に、淡々と歌い続けてゆく沢田。ザ・タイガース時代の『君だけに愛を』(1968年)、PYG時代の『自由に歩いて愛して』(1971年)、ソロとして初のヒット曲『許されない愛』(1972年)……若い頃よりも重厚な音質で、ややシャウトぎみな歌い方だが衰えは感じさせないパフォーマンス。
"さすが"の一言に尽きる。
めったに体験できないヒットメドレーに、ファン達も通常のライブよりさらにヒートアップした様子で手拍子に振り付けにそれぞれの想いを乗せている。『勝手にしやがれ』(1977年)、『TOKIO』(1980年)など超ヒット曲ももちろん盛り上がったが、長年のファンの方にとっては『愛の逃亡者』(1974年)、『CHANCE』(1987年)など若干コアなシングル曲もグッとくるものがあったのではないだろうか。
2時間半ほぼノンストップで歌い続けて、最後は今は亡き恩人、加瀬邦彦とのユニット『ジュリー with ザ・ワイルドワンズ』のムービーをはさみアンコールの『いくつかの場面』(1975年)。デビュー間もない河島英五による提供曲で、アルバム曲ながら節目には必ず歌われてきたファンのみぞ知る名曲だ。
「いつも何かが歌うことを支え 歌うことが何かを支えた」
沢田版『マイウェイ』とでも言えばわかりやすいだろうか。歳を重ねるごとに重みを増す歌詞が、メロディーが大きな感動を誘った。
盟友リンド&リンダース 宇野山和夫からの祝辞
70歳を過ぎた現在もミュージシャン、俳優として活躍する宇野山和夫。新曲「やんちゃな高齢者」も話題。
今回、僕を岸和田でのライブにお誘いいただいたのはザ・リンド&リンダースの宇野山和夫さん。
デビュー前の沢田研二さんらザ・タイガースのメンバーと同じアパートで生活し、その後も長く交流を続けてきた関西音楽界の巨人だ。
その宇野山さんから本記事制作にあたり、50周年の祝辞をいただくことができた。
文章としてはやや硬いが、何度も昔話を聞いてきた僕には「おめでとうジュリー!よくやったな!」という気持ちが伝わってくる。若く、無名で、不安だった時代を共にした人間だからこその祝辞なのだと感じた。「自分の未来なんかほんの2、3年先しか想像できなかった10代の頃に、偶然としか言い様のない出会いで過ごした長かったようで短かかった青春時代。
そして50年の月日がながれ振り返ったとき。
ある人は倒れ、ある人は勇姿を保ち続けて生き、成長し続けている。
後者の沢田研二さんに、50周年を祝って心からの賛辞をここに送らせて頂きます。
50周年おめでとうございます。」
そして……こうやって50周年の節目に記事を手がけられることを僕自身とても嬉しく思う。文末になったが僕からも、「沢田研二さん、50周年おめでとうございます」。